世界をあぜんとさせたロシアのウクライナ侵攻から3週間以上が経過した。紛争がどう収束するのか、いまだに見えない。今回の侵攻の背景には何があるのか。私自身が取材した著名な政治家やロシア問題の専門家の話、過去の外交問題の泰斗らの著作などから考えてみた。「賢人」たちはロシアをどう捉えてきたのか。
英の老政治家が提起するケナンの警告
きっかけは、たまたまネット上で見た過去のニュース番組の映像だった。
「(ソ連首相の)フルシチョフがミサイルをキューバに持ち込んだ際、あなた方(米国)が介入したのはそこがあなた方の影響圏であり、それが深刻な脅威だったからだ」。英国の老政治家が米CNNの番組でキャスターに対してそう語りかけた。2014年、ロシアがウクライナ南部クリミア半島を一方的に自国に編入した直後のことだ。
そして彼は「米外交においてソ連の共産主義に対して最も優れた実績を上げた」というジョージ・ケナン(1904~2005年)が90年代後半、北大西洋条約機構(NATO)の拡大は誤りであり、ロシアの反発を招きかねないと「警告」していたことを明らかにした。
老政治家はデービッド・オーウェン卿。1938年生まれ。38歳の若さにして77年、労働党キャラハン政権の外相に就任し、2年間その座にあった。将来の労働党を背負う人物と目されたが、その後、党内左派とたもとを分かつ形で離党し、社会民主党の結党に参加。後に同党首を務めた。男爵にも叙され、現在は上院(貴族院)議員を務める。
医学を修めて研修医や研究員として病院勤務をし、政界入り後は保健担当閣外相を務めた経験もあり、外交・安全保障問題だけでなく、医療・保健・福祉問題にも精通。歴史書を含めた著作が多く、広い分野で意見を発信する政界の重鎮として知られる。
私は19年に英国に赴任して以降、対面や電話でオーウェン卿にブレグジット(英国の欧州連合離脱)問題や、コロナ禍で露呈した英国の公衆衛生や医療現場の衰退などについて話を聞いてきた。
オーウェン卿が指摘したジョージ・ケナンは米国の外交官だ。第二次大戦から2年後の1947年、米誌「フォーリンアフェアーズ」に「X(エックス)」という匿名で寄せた論文で、ソ連に対する「封じ込め政策」を提唱したことで知られる。冷戦期の米外交の基本政策となった、この封じ込め政策の「設計者」とも呼ばれた大物外交官である。
オーウェン卿がCNNのインタビューで強調していたのは、冷戦時代に共産圏に属していた中東欧各国や旧ソ連に組み込まれていたバルト3国などをNATOの加盟国に加える、いわゆるNATOの東方拡大が、そういった国々への影響力を重視するロシアの西側に対する敵対心が生じることにつながりかねず、冷戦期の対ソ外交をリードしたケナンは、それには反対していたのだ――ということだ。
NATO拡大を批判した米外交の「グル」
では、ケナンの問題意識はどのようなものだったのだろう。
オーウェン卿は21年、「Riddle,Mystery,andEnigma:TwoHundredyearsofBritish-RussianRelations」(不可解、神秘、謎 英露関係の二百年)という近代英露関係史を描いた本を著し、この中でもケナンのNATO拡大への反対について取り上げている。
この本の記述を足がかりにケナンの発言を追っていくと、ケナンは97年、米ニューヨーク・タイムズ紙への寄稿で、当時のクリントン政権が進めようとしていたNATO拡大の動きを「冷戦終結後の米国の政策の中で最も致命的な誤り」と厳しく批判した。拡大によって「ナショナリスティックで反西側的で軍国主義的」な見方がロシア国内で沸き上がることを懸念したのだ。
そして翌98年、同紙の著名な外交問題コラムニスト、トーマス・フリードマン記者のインタビューに答え「新たな冷戦の幕開けとなるだろう。ロシア人は次第に敵対的な反応になり、それは彼らの政策に影響するだろう。悲劇的な間違いだ」と警告した。
米エール大学の歴史学者、ジョン・ルイス・ギャディス氏によるケナンの伝記には、NATO拡大を過ちだと言い切ったケナンの寄稿がニューヨーク・タイムズ紙に載った朝、クリントン大統領が、側近で盟友のストローブ・タルボット国務副長官に対し、「彼は君たち(外交界)のグル(教祖)じゃないのか」と語りかけ、ケナンの批判について検証するよう指示する場面が描かれる。米外交政策の「教祖」の批判は、クリントン氏にとっても重いものだったようだ。
ケナンの主張は、プーチン露大統領がNATOの不拡大を言い募って西側との対立を深めてきたこと、そして対立の帰結が現在のウクライナへの侵攻にまで発展してきたことを考えると、慧眼(けいがん)とも言える。だが一方で現実を踏まえると、ソ連崩壊後にそれまでソ連の影響下にあった中東欧を放置して、大国パワーの真空地帯にしておくことができたのか、という疑問も浮かぶ。また、ケナンはNATOの設立そのものにも反対だったとの指摘もある。
結果的にケナンの「警告」は受け入れられることはなく、クリントン政権はNATOの拡大に踏み切った。
露の欧州化を主張したブレジンスキー
ケナンとは異なる見方をした論客もいる。
カーター米政権で国家安全保障問題担当の大統領補佐官を務めた著名な政治学者、ズビグニュー・ブレジンスキー(1928~2017年)は97年に出版した著書の中で、ロシアは地政学的な孤立を避けるために欧州と緊密な関係を構築すべきだと主張した。
そして、ウクライナがやがて欧州連合(EU)やNATOに加盟する可能性があると予測し、ウクライナの「欧州化」を認めることでロシアは自らを欧州の一部と規定することになるのだと説いた。ロシアより中欧との関係が深いウクライナが欧州の一部にならない状態では、ロシアが欧州の一部になるのは難しい――との論法である。
ロシアの「欧州化」こそが重要、と考えるブレジンスキーは、その前提となるウクライナの「欧州化」をロシアが認めない場合、ロシアが「真の意味で欧州でもアジアでもない、ユーラシアののけ者」になると警告した。
オーウェン卿「プーチンは制御不能」
2月24日。ロシアがウクライナへの全面侵攻を始めてから数時間後というタイミングで、私はオーウェン卿に電話インタビューをした。14年のCNNのインタビューを見た人は、オーウェン卿が「ロシア寄り」の人物のように受け取ったかもしれないが、それは単純な見方だ。オーウェン卿の言葉にはのっけからプーチン氏に対する強い憤りがあふれ出ていた。
「ハワユー?」という私のあいさつに、沈鬱な声で「良い気分じゃないよ」と返したオーウェン卿は、「プーチンは完全に制御不能で、政治勢力であれ軍であれ、誰も抑えることはできない。世界にとって大変危険だ。NATO部隊がウクライナでロシアと戦うのは論外ではあるが、まずウクライナを、そしてロシアに近く潜在的に攻撃を受けやすいNATO加盟国を全力で支援しなければならない」と述べた。
また、自身が外相を務めた77年にモスクワを訪問した際のことに触れ、「グロムイコ(ソ連外相)とブレジネフ(ソ連共産党書記長)に会った際、(併合されてソ連に組み込まれていた)バルト3国はロシアの影響圏の一部であり続けると主張され、これを拒絶したことがある」と振り返った。そのうえで、プーチン政権の「野望」について「ウクライナで成功すれば、(NATO加盟国の)バルト3国に対して同じ事をしようとするのは疑いない」とまで述べて、警戒心と不信感をあらわにした。
オーウェン卿はプーチン氏の「結末」も予測した。
「今のプーチンを制約するものは(ロシア国内に)ないが、彼の責任を問うべきだとやがてはロシア人が気づくのではないか。多くのロシア人はウクライナ人に一体感を持ち、ウクライナに親戚もいる。ロシアはウクライナを自分たちに近づけるのでなく、敵に回してしまった。これはロシア人の望むことではないだろう。私にはプーチンが持続可能なコースをたどっているとは思えない。ひっくり返されるのではないか。そうなることを願う」
さらにオーウェン卿は「もし彼(プーチン氏)がウクライナの件で面目を失えば、彼は(権力の座から)追われることになるだろう」と、ロシア国内の反発が強まり、それがプーチン氏失脚につながることに期待を込めた。
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