ナンパのメッカ、新島と式根島
阿部サダヲ演じる主人公、小川市郎がことあるごとに口にする「チョメチョメ」。若者世代からしたら「なんのこと?」となる言葉だろう。
「チョメチョメ」とは俳優の故・山城新伍さんが、自身がMCを務めるクイズ番組『アイ・アイゲーム』(1979~85年)内で、男女の性的な行為をこう表現したのが発祥とされる。今でいう「エッチ」だ。
ちなみに、劇中で市郎がよく口にする「ニャンニャン」もほぼ同意語だが、これは1983年に写真週刊誌『FOCUS』が、未成年アイドルのスキャンダル写真に「ベッドで二人仲良くニャンニャンしちゃった後一服」との見出しをつけたことが話題となり、流行語にもなったことに由来する。
では、当時のティーンエイジャーたちはどんな流れで「チョメチョメ」「ニャンニャン」していたのか。戸越銀座商店街の立ち飲み屋で生ビールを飲んでいたAさん(53歳・女性)は言う。
「今ではナンパといえば渋谷とかの都心や夜のクラブでしょ? でも私たちの時代は車が必須。都内からわざわざつくば学園都市や幕張の美浜大橋、横浜の大黒ふ頭あたりまでオシャレして出かけて、ナンパ待ち。それで男に車に乗せてもらってバビューンッと飛ばして海まで行ったりしたんですよ。
当時は飲酒運転上等みたいな感じもあったから、ドリンクホルダーにビールを入れてさ。それでノリが合ったら、そのままラブホでワンナイトなんてことも……ね」
また、当時は東京都のとある島がナンパのメッカだったという。
「伊豆諸島の新島と式根島にはハメを外しに女子高生や女子大生、もちろん男性も押し寄せてた。当時、処女なんて恥ずかしくて早く捨てなきゃみたいな感じだったから、新島と式根島はロストバージンにはもってこい。
浜辺のあちこちでみんながヤってて、早朝の砂浜はビニールや缶のゴミより使用済みコンドームのほうが多かったというのは、有名なエピソードです(笑)」(同)
ところで当時は「チョメチョメ」や「ニャンニャン」とは言わなかったのか?
「私たちは使ってないですね。当時、50代のオヤジたちが夜の飲み屋でふざけて言ってたくらいじゃないですか(笑)」(同)
歌舞伎町のディスコには中高生が殺到
また、商店街のベンチに腰を掛けていたBさん(60代・女性)は昭和世代の冬の性事情を語ってくれた。
「私の場合はスキー場ですね。当時、『私をスキーに連れてって』(1987年公開)という映画がものすごく流行って、スキー場での恋愛に憧れました。男たちはモテるためにこぞってスキーの練習をしていて、私もすごく上手な人にナンパされたので、いいなと思ってエッチしちゃいました。
ただ、その人はスキーはうまくてもあっちのほうは下手くそで、一夜限りで終わりましたね、あっはっは! 昔は今ほど恋愛に理由を求めていなくて、わかりやすいカッコよさとか一時の感情でエッチする人が多かった気がしますね」
当時、歌舞伎町のディスコに通っていたというCさん(50代女性)も80年代の貞操観念のユルさをこう説明してくれた。
「歌舞伎町に東亜会館(第二東亜会館。現在も各フロアに飲食店や娯楽施設が入る)っていうのがあって、3階は一番激しく踊る『BIBA』、4階は『グリース』、6階は『B&B』、7階は『GBラビッツ』と4つのディスコが入ってました。
どこも昼間からやってて毎日のように大勢の中高生が押し寄せてました。年越しは店の奥にいようものなら何時間も出られなくて。そこでみんな飲酒、喫煙、ナンパ、逆ナン……。
最高のストレス発散で、みんな“兄弟”、“姉妹”でしたね(笑)」
スマホやメールがないからこその淡いエピソード
うってかわって、携帯電話やインターネットがない時代だからこその淡いエピソードを教えてくれたのは50代女性のDさんだ。
「みんな実家の電話で連絡を取り合うんですけど、そこで厄介なのがお父さんの存在。同級生のいい感じの男の子から『20時にかけるね』と言われてスタンバイしてたのに、たまたま早く帰ってきた父親が電話を取ってしまい……。
男の声だとわかると『娘にかまうな!』とガチャ切り。当然、私は『なんで切るの!』と泣いて抗議しました。
それを見かねた母親が電話に取りつける延長アダプタを買ってくれて。当時は子機もなかったから、その延長アダプタで電話機を部屋まで持っていって男の子と電話してました。親や兄弟に会話を聞かれなくてすむので助かりましたね」
また、メールやSNSがないからこそ、「文字で思いを伝え合う温かさがあった」と話すのは60代の男性だ。
「昔はメールなんてないから、昭和のころは駅の伝言板が重宝されてたよね。『○○に寄ってから帰るよ。(名前)』みたいな事務的なことから、恋人の最寄駅の掲示板に相合傘や『今日も好きだよ』なんて余計なことまで書いちゃってさ(笑)。
それを恋人が見るかどうかわからないんだけど、見てくれたらうれしいじゃない? 届かないかもしれない、繋がらないかもしれない、だからこそ届いたり繋がるとうれしいって感覚があったよね」
現代と比べるとユルい面もありつつも、淡い一面もあった昭和時代の恋愛。『不適切にもほどがある!』ではこれらをどう描くのかが楽しみだ。
取材・文/河合桃子
集英社オンライン編集部ニュース班
2024-02-16 11:31:00Z
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