Saturday, June 4, 2022

感謝を「すみません」と伝えてしまう…飯間浩明さんが語る根深い理由 - withnews

読み解くカギは「貸し借り」にあった

私たちが「ありがとう」の意味で、思わず使ってしまう「すみません」。謝罪時に口にすることが多い言葉で、なぜ感謝を表現できるのでしょうか?日本語のプロと考えました。(画像はイメージ)
私たちが「ありがとう」の意味で、思わず使ってしまう「すみません」。謝罪時に口にすることが多い言葉で、なぜ感謝を表現できるのでしょうか?日本語のプロと考えました。(画像はイメージ) 出典: Getty Images

目次

他人からの親切に対して、つい「すみません」と言ってしまうことがありませんか? 謝罪の意味で使われるはずの言葉で、どうして感謝の思いを伝えられるのだろうかと、疑問に思う人もいるかもしれません。日本語のプロならば、答えを知っているかもしれない――。そう考えて、話を聞いてみました。(withnews編集部・神戸郁人)

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どうして「感謝」に「謝」が入るのか?

筆者が感謝の表現について調べてみようと思ったのは、今年のゴールデンウィーク前のことです。ロシアによるウクライナ侵攻にまつわる、ある「騒動」を見聞きしたのがきっかけでした。

4月25日、ウクライナを支援した国々に謝意を伝える動画を、同国外務省のツイッターアカウントが投稿。対象国の名前を刻んだテロップが流れる内容です。その中に「日本が含まれていない」と、国会議員が引用リツイートで指摘しました。

筆者はこの対応に違和感を抱き、同僚と受け止めについて話し合いました。そして互いに意見を交わすうち、「感謝の中に、なぜ『謝』が入っているのだろう」と、予想外の方向に議論が展開したのです。

「謝」の文字を見て、感謝以外に思いつく熟語として「謝罪」がありました。謝罪には、おわびの言葉「すみません」が使われる機会が少なくありません。一方、「ありがとう」の意味合いで、人々の口に上る場面も多いように思います。

そもそも「謝」に両方の意味があったのか。あるいは日本で独自に発展した用法なのか……。雲の彼方にまで届くほど想像力をたくましくしても、答えが出ません。そこで、国語辞書編纂(へんさん)者・飯間浩明さんにインタビューしました。

日本語学者・国語辞書編纂者の飯間浩明さん=嶋田達也撮影
日本語学者・国語辞書編纂者の飯間浩明さん=嶋田達也撮影 出典: 朝日新聞

古代中国でもみられた「二重の意味」

時節柄、オンラインとなった今回の取材。パソコンの画面越しに、まず「謝」の語源について尋ねてみました。

「それじゃあ、一緒に辞書を見ていきましょうか」。そう言いながら、大漢和辞典の項目を、瞬時に画面共有する飯間さんの手際の良さに驚きます。

「謝」の字義(文字の意味)を確認していくと、「さる」「おとろえる」「ききいれる」といった説明が並び、続いて「あいさつする」と書かれています。その小項目として「れいをのべる」「わびる・あやまる」という記述もありました。

「感謝とおわびの二つの『謝』の用例が、『礼記』『漢書』など、中国古代の書物から引用されています。つまり、『謝』は、古くから“Thank you.”と“I’m sorry.”の両方の気持ちを広く含んでいたんですね」

次に小型漢和辞典の漢辞海(第4版)の「謝」を見ると、「人の助けや行為に対し礼を言う」「過ちを認めてわびる」と、より詳しく説明されています。

飯間さんは「こうした『謝』の用法は、日本語にもそのまま取り入れられています」と話します。

漢字の「謝」には、古くからお礼とおわび、両方の意味が備わっていた。(画像はイメージ)
漢字の「謝」には、古くからお礼とおわび、両方の意味が備わっていた。(画像はイメージ) 出典: Getty Images

「すみません」は軽いおわびと感謝の言葉

日本に伝来する以前から、漢字の「謝」が感謝・おわびの両方の意味で使われていたことは分かりました。では、「すみません」が感謝のニュアンスを持つようになるまでに、どういったプロセスを経たのでしょうか?

飯間さんいわく「中国から来た漢字の『謝』と、日本語の『すみません』を混同してはいけませんが、意味用法には不思議と共通するものがあります」。そう言って、国語辞典の項目を示してくれました。

三省堂国語辞典(第8版)の「すみません」には、最初に「軽いおわび」「軽い感謝」の二つの意味が出ています。さらに、語源的には「すまない」の丁寧語から来ていることも記されています。実はここにヒントがあると、飯間さんは言います。

「相手に何かをしてもらったとき、こちらが恩恵を受けたという感謝とともに、相手に負担をかけて申し訳ないという気持ちが起こります」

「このままでは物事がすまない(終わらない)。これが、『すまない』『すみません』ということばの元の意味です」

確かに、誰かから親切にされると、借りができたような気分になります。それを返さなければ、気がすまないという心情は、よく理解できるものです。「すみません」と「謝」が、感謝とおわび両方の意味で使われる理由が、分かってきました。

親切を受けると、借りができてしまう――。お礼の意味で「すみません」と言う背景には、そんな心情があるのだそうだ。(画像はイメージ)
親切を受けると、借りができてしまう――。お礼の意味で「すみません」と言う背景には、そんな心情があるのだそうだ。(画像はイメージ) 出典: Getty Images

「収まらない」から「おわび・感謝」へ

ところで、お礼としての「すみません」が一般的になるのは近代以降と、比較的最近なのだそうです。飯間さんが、日本国語大辞典(第2版)に掲載されている例文を挙げ、時代ごとの用法の変遷について解説してくれました。

「すみません」の項目を開いて最初に登場するのが、江戸時代後期の洒落本『松登妓話(まつのときわ)』(1800年)の一節です。そこには、こう書かれています。

「此(この)世界(=遊郭)へいらっしゃちゃア(酒を)上(あが)らねへじゃアすみません」

上記の文で、「すみません」は「物事が収まりません」といった意味です。ところが、近代に入ると、おわびや感謝の文脈で使われるようになります。

ロシアの文豪ツルゲーネフの小説を、明治時代の作家二葉亭四迷が訳した『めぐりあひ』(1888〜89)では、次のように謝罪の意味で使われています。

「貴嬢の注意を惹かうとして、不都合な狡獪手段を用ひたは済みませんでした」

ずいぶん現代風になってきました。ちなみに「すまない」もほぼ同様に、物事が片づかないという意味から、義理が立たない、申し訳ないなどの意味に変化したということです。

「すまない」は、「物事が片付かない」との意味から派生した言葉だという。(画像はイメージ)
「すまない」は、「物事が片付かない」との意味から派生した言葉だという。(画像はイメージ) 出典: Getty Images

古くは「かたじけなし」を使った

ここまでのやりとりを受けて、筆者の頭にひとつの疑問が浮かびました。「すみません」にあたる言葉は、それまで存在しなかったのでしょうか? 

「江戸時代には、すでに『申し訳がない』『申し訳が立たない』などもありましたが、古代からずっと使われてきた言葉と言えば『かたじけなし』ですね」

「かたじけなし」は現在の「かたじけない」に当たる文語形容詞です。

日本国語大辞典を引くと、「おそれ多い。恐縮だ。申しわけない」「ありがたくうれしい。もったいない」などの意味が書かれています。確かに「すみません」の意味と似ています。

「『かたじけなし』は、おわび・感謝の両方を表す言葉です。どちらの意味も『宇津保物語』などの古代の文章に出てきます。意味の面から見れば、まさしく『すみません』の先祖に当たると言っていいでしょう」

かつては「かたじけなし」が、おわびと感謝の意を表すための、ポピュラーな表現だった。(画像はイメージ)
かつては「かたじけなし」が、おわびと感謝の意を表すための、ポピュラーな表現だった。(画像はイメージ) 出典: Getty Images

「貸し借り」は思いやりあってこそ成り立つ

日本語の歴史を振り返ると、感謝の表現は今昔を問わず、使う相手に対する申し訳なさを伴っているように思われます。やはり、「貸し借り」がコミュニケーションの基礎にあるからだと言えそうです。

飯間さんは、他人にものを渡すときに使う「つまらないものですが」という定型句にも、そうしたメンタリティーが反映されていると話します。

「贈り物をもらう側は、うれしいだけでなく、負担を感じることもあります。相手からの心尽くしの品に加え、丁寧な手紙まで添えられていたとする。こうなると『ありがとう』だけで終わらないんですね。どうやってそれに見合う返礼をすべきか、大問題です(笑)」

「そこで、送る側は『つまらないものですが』と言うことで、『これは無価値な品なので、あなたは借りを作っていませんよ』とメッセージを送る。貸し借りをゼロにしようとするのです。最近は評判のよくない言い方ですが、私は配慮が感じられていいと思います」

冒頭の国会議員のように「相手側が感謝していないのではないか」と確認したくなる心理について、飯間さんは「外交の場ではありうる」と一定の理解を示します。

「とはいえ、それは『つまらないものですが』の精神と正反対なのも確かです。もっとエレガントな言い方を考えたほうがよかった」

「貸し借り」という考え方は、思いやりに基づき、人と人との結びつきを強める一助になってこそ価値がある。一方的な恩返しを期待せず、誰かとよい関係を築く上で役立てたいものだ――。飯間さんの意見に耳を傾けながら、そう感じました。

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