Friday, June 24, 2022

「現代のラフカディオ・ハーン」:英国人ジャーナリスト、ヘンリー・S・ストークス氏の死を悼む - ニッポンドットコム

日本滞在歴は58年にわたり、在日外国人記者の草分け的存在だったヘンリー・スコット・ストークス氏は、三島由紀夫の評伝や『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄』(祥伝社新書)などで知られる。日本の良き理解者で、多くの優れた著書を残したストークス氏が2022年4月に死去した。「日本の代弁者」と目されるほど日本に傾倒した氏と家族ぐるみの付き合いがあった筆者がその実像を明かす。

タレントのハリー杉山さんの父親で英国人ジャーナリスト、ヘンリー・スコット・ストークス氏が4月19日に亡くなった。83歳だった。

1938年、英国南西部サマセット州、グラストンベリーに生まれ、オックスフォード大学修士課程修了後の64年、英フィナンシャル・タイムズ紙初代東京支局長として来日、67年から英タイムズ紙東京支局長、78年からは米ニューヨーク・タイムズ紙(以下、NYタイムズ)東京支局長をそれぞれ務め、日本を深く理解し、日本に寄り添った報道を続けた。日本外国人特派員協会最古参で、安倍晋三元首相、父の安倍晋太郎元外相、祖父の岸信介元首相を取材した唯一の外国人記者だった。

「日本の最も良き理解者の一人で、日本を正しく世界に伝えた意味で、現代のラフカディオ・ハーンだった」

半世紀にわたり、交際のあった外交評論家の加瀬英明さんはその死を悼んだ。

ジャパニーズ・カルチャー・アズ・ナンバーワン

ストークス氏が初めて日本の地を踏んだのは、東京五輪が開催された1964年。五輪取材のためだったが、敗戦後、急成長し、復興した日本人の活動の源がどこにあるのか、それを知りたくて日本行きに手を挙げた。

「巨大なロケットが発射されたように急速に動き出す。そんなミステリアスな魅力があった」

オックスフォード大学在学中に米国やソ連など世界を訪ね歩いたが、どの国も半日あれば把握できた。しかし、日本だけは例外だった。

高度成長期の入り口にあった日本に暮らすうちに日本が好きになった。とりわけ魅入られたのは文化だった。黒澤明の映画「七人の侍」に衝撃を受けた。外国から影響を受けながら、自然に寄り添い、独自の発展を遂げた日本の文化は、新鮮だった。米ハーバード大教授、エズラ・ヴォーゲル氏は著書で「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と称揚したが、ストークス氏は「ジャパニーズ・カルチャー・アズ・ナンバーワン」と評した。

19世紀以来、浮世絵に始まり、日本建築までジャポニズムは世界の文化に大きな影響を与えたが、彼は日本の洗練された文化の高みに魅せられた。そして、あき子夫人と結婚し、日本滞在歴は58年に及んだ。

彼が日本の風土に順応できたのは、英国と日本が同じ島国としての共通点があることも見逃せない。シャイで注意深く、節度があって、あまり直接的な物言いをしないなど、英国人は大陸の欧州人よりも日本人と共通する部分が多い。共に恥の文化。素材の味を大切にする料理も同じだ。「畳で横になり、綿の浴衣を着ることが心地よい」というのが口癖だった。

クエーカー教徒の平和主義者だったが、「国を護(まも)るために軍隊を持つこと、国を護るために命をささげた方々を顕彰することは当然」と公言した。85年にハリーさんが生まれたときには、靖国神社に家族でお参りをした。

ハリーさんが生まれて約半年後の1985年7月、靖国神社を参拝したストークスさん家族(ストークス家提供)
ハリーさんが生まれて約半年後の1985年8月16日、靖国神社を参拝したストークスさん家族(ストークス家提供)

三島由紀夫との出会い

日本に長くとどまった理由の一つに作家、三島由紀夫との出会いがある。三島は当時、昭和天皇を除くと、世界で最も話題性のある日本人だった。最初に会ったのは、東京・有楽町にあった外国人特派員協会での囲み取材だった。「日本の魂」に触れようと単独インタビューし、手紙を幾度も交わすうちに、率直な三島に魅せられた。1969年3月、三島の富士山麓(さんろく)雪中演習に外国人として初めて同行、三島と最も親しい外国人記者となった。

1969年3月、三島由紀夫の富士山麓雪中演習に外国人記者として初めて同行した(ストークス家提供)
1969年3月、三島由紀夫(中央)の富士山麓雪中演習に外国人記者として初めて同行したストークス氏(左)(ストークス家提供)

「日本はどう生きるべきか」。三島は苦悩の中にいた。三島は米国によって日本が「属国化」されたことを嘆き、連合国戦勝史観の呪縛からの脱却を唱えた。

三島が自決した70年11月25日、ストークス氏はマニラに向かうはずだった。しかし、台風で飛行機が欠航、臨時ニュースで自決を知り、茫然(ぼうぜん)となった。1カ月前に三島から「この世の終わり」と書かれた手紙が送られていたからだ。何度も三島からサインを出していたのを見落とし、助けることができなかった。「友達を見捨てた罪は許すべからざるものだ」と悔いて自分を責め続けた。

三島が檄文(げきぶん)で訴えたことは大筋で正しいと思ったが、西洋では理解されなかった。事件後、英語で三島由紀夫伝、『The Life and Death of Yukio Mishima』(初版は74年刊)を著し、名著と評された。ギリシャ語にも翻訳され、日本でも『三島由紀夫 死と真実』(ダイヤモンド社)という書名で邦訳された。翻訳を担当したのは友人のジャーナリスト、徳岡孝夫氏。日本文化研究の第一人者で米コロンビア大名誉教授だったドナルド・キーン氏とともに三島とは昵懇(じっこん)の間柄だった。

金大中氏に対する怒り

英国では経済記者だったが、東京特派員として政治や国際関係などあらゆるジャンルをこなした。インドネシアのスカルノ大統領、韓国の金大中大統領、北朝鮮の金日成主席、カンボジアのシアヌーク殿下など、アジアの首脳にインタビューした。中でも金大中氏には30回以上も単独インタビューしたが、「彼は偽物だった」と断じた。

彼が金氏と初めて会ったのは、69年春。72年以降、金氏は日米両国に滞在し、民主化を推進する人権活動家として注目されていた。「民主化運動の闘士」のイメージは、米国の民間団体とメディアが演出したもので、ストークス氏が東京支局長を務めていたNYタイムズがその陣頭に立っていた。

73年8月に東京・九段のホテル「グランド・パレス」から、韓国中央情報部(KCIA)に拉致され、船上で殺害されかかるが、軍用機が旋回し、一命をとりとめる。その後、ソウルの自宅で軟禁され、80年5月、再逮捕され、光州事件が起きる。NYタイムズは社説で「金大中は処刑されるべきではない」と論陣を張った。

しかし、ストークス氏の目に映ったのは策略に長け、人心を巧みに操り、政治的野心と名声をひたすら追求する金大中氏の姿だった。

「私もNYタイムズもだまされた。金大中氏の最大の犯罪は民主主義を欺いたこと。その最たる例が光州事件だ。事件は金氏が起こした自作自演の“暴動”で、大統領になることを狙って仕掛けた」とまで言い切った。

韓国の金対中元大統領(左)と北朝鮮の北朝鮮の金日成主席らにインタビューするストークス氏(外国人特派員協会会報誌より)
韓国の金大中元大統領(左写真)と北朝鮮の金日成主席(右写真右端)にインタビューを行った時のストークス氏の記事(日本外国人特派員協会会報誌より)

病床にあった晩年

ストークス氏は『外国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄』など、外国人記者としては異例なほど数多くの著書を世に送り出した。戦勝国の都合で作り上げられた「日本悪玉論」を真っ向から否定した同書は、2013年に発売5カ月で10万部のベストセラーとなった。その意図をインタビューすると、当時、彼はパーキンソン病と認知症を発症していたにもかかわらず、率直に答えてくれ、以来、私は彼と親交を結ぶようになった。

その後、私が15年にロンドン支局に赴任することになり、あき子夫人が私の長男の小学校として、ハリーさんの通ったロンドンの「ヒル・ハウス」というプレップスクール(パブリックスクール進学を目指す生徒のための私立小学校)を紹介してくれた。

バッキンガム宮殿に近く、チャールズ皇太子も通学した同校の校長夫妻は、ハリーさんをよく覚えていて、日本でタレントとして才能を発揮していることに目を細め、その後輩として長男も自分たちの孫と同じクラスに入れるなど目をかけてくれた。白人の英国人生徒が95%を占めるクラスで唯一のアジア人だった長男がグローバルな英国の基礎教育に親しく馴染めたのは、ストーク家の紹介があったからだと感謝している。

私が19年に帰国した後もハリーさんは、介護しているストークス氏の様子をテレビ番組で放映する際には、そのことを電話で知らせてくれた。ストークス氏の訃報もハリーさんからの電話で知った。

「父が今日旅立ち、最期は母の腕の中で安らかに眠り、静かに見送りました。無償の愛を注いでくれた父が星になっても、最後の日まで彼の魂を受け継ぎ、一生懸命生きます」

敬愛する泉下の父親への想いを語るハリーさんの気丈さに感心した。マルチな活動を続けるハリーさんの活躍をストークス氏は、天国から温かく見守ることだろう。

6月24日、東京・二重橋前の外国人特派員協会でストークス氏を追悼する記念イベントが開かれ、在日最古参のベテラン特派員の業績を偲(しの)ぶ。

バナー写真:若かりし頃のストークス氏(ストークス家提供)

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