Thursday, May 4, 2023

【亀蔵 meets】②軽井沢安東美術館 その2-「今までフジタに対し ... - 読売新聞社

軽井沢安東美術館を訪れた片岡亀蔵さん。この美術館を作ったのは、実業家の安東泰志さんだ。レオナール・フジタこと藤田嗣治作品のコレクターでもある安東さんが感じるフジタの絵の魅力とは。その絵のどこに惹かれるのか。「亀蔵meets」の「軽井沢安東美術館編」。2回目と3回目は、亀蔵さんと安東さんの対談をお送りする。

(聞き手は、事業局専門委員 田中聡)

――亀蔵さんには、一通り美術館を展覧していただきました。まずは、全体的な感想からお伺いしましょうか

亀蔵 今まで見てきたフジタの絵とは、ずいぶん印象が違いますね。これまで見てきた作品は「乳白色の下地」が主でしたから。「猫と少女」の絵を見て、イメージが大きく変わりました

安東 そうでしょうね

亀蔵 数多く展示されている「少女」の絵、みんな同じように見えるんですよ。それが意図的なのかどうか、すごく興味がわきますね。なんか頭が大きくてバランスが悪くて、無表情なのに、あの眉毛のない眼で見つめられると何だかすごく吸い寄せられる。不思議な感じなんです

安東 あの「少女」にはモデルはいないんですね。フジタの頭の中にだけいる「想像上の少女」なんです。「少女」の絵が増えるのは、太平洋戦争の後、フジタが二度目の渡仏をした後なんですよ

――時代を追って作品を見ていくと、それぞれの時代で作風が変わっていくのがよく分かりますね。

亀蔵 西洋画風の人物と日本画風の動物が一緒に描かれていたり、金箔を貼ってみたり。日本画のテクニックがあちこちに見られますね。フランスに行って「自分を売り出す」ためにはどうすればいいか、随分考えたんでしょうね。「日本人は、こういう感じで見られるだろうから」ということを頭に置いて、「だったらオレはこんなスタイルで行こう」とか、いろいろ模索をしていったんでしょうね

「今までのフジタのイメージが大きく変わった」という亀蔵さん

安東 フジタは自分が日本人であることをすごく意識して、戦略的にいろいろなことをやっていると思います。人物を描くのに、西洋画は普通、輪郭線を描かないんですが、フジタはきちっと面相筆で描いている。日本の技法をいろいろな所で、非常に繊細に使っているんです

亀蔵 猫の絵を見ると、ものすごく細かく毛並みを描いてますもんね。「乳白色の下地」の裸婦像などを見ても、髪の毛の描写がとても繊細。そこの部分だけ、日本画に見えたりもします。美術館を通して見ると、フジタは、ものすごく才能があった人なんだ、と実感しますね。「乳白色の下地」が有名で、ボクなんかもそこしか知りませんでしたけど、それはほんの一部なんですね

安東 日本でも世界でも、1920年代、エコール・ド・パリの時代に人気を集めた「乳白色の下地」こそがフジタだ、という人は多いんですが、私は必ずしもそう思っていません。「少女」と「ネコ」の絵からフジタの世界に入ったからかもしれませんが。渡仏して、彼自身が模索して、日本画との融合の中で自分のオリジナリティーがどこにあるか、考えていくうちに生まれたのが「乳白色の下地」だと思うんです。それは計算づくだともいえるし、それができたフジタは天才だと思うけれども、あれが本当のフジタがどうかはよく分からないんです

安東泰志さんは1958年生まれ、京都市出身。東大経済学部を卒業後、シカゴ大学経営大学院(MBA)を修了。三菱銀行に入行し、ロンドン支店・企画部などで勤務した後、2002年にフェニックス・キャピタルを創業。三菱自動車工業、日立ハウステックなど、数多くの起業の事業再生にたずさわってきた。現在は、ニューホライゾン・キャピタルの代表を務めている。

「乳白色の下地」は「フジタの世界の一部分にすぎないと思います」という安東さん

亀蔵 自己プロデュースに長けていたんでしょうね。そのうえで描いた作品だったのかもしれません。本当にそれが描きたかったのかどうかは分からない。画家だって生活がありますから。売れない絵ばかり描いていても仕方がない。こちらの美術館では、フジタが「乳白色」の絵を描いていた頃よりもずっと後、戦後の作品が多いですね

安東 フジタは1930年代と40年代に大きな転機があった、と思うんですよ。30年代には4番目の奥さんと中南米を旅して、「色彩」を得て帰ってくるんです。そして日本に戻って「戦争画」を描いた後、戦後に再び渡仏して、「少女」と「ネコ」を描き始めるんです

――「乳白色」は、フジタの画業の中で、「進化の過程」だったということですか。

安東 そう思っています。1949年に日本から離れたフジタは、ビザの関係でニューヨークに短期間滞在し、絵を描き、個展を開きます。出品作品には、当館で所蔵・展示している《猫の学校》とかポーラ美術館所蔵の《ラ・フォンテーヌ頌》とか、いい絵がいくつもあって、フジタは高い評価を得るんです。その個展には、「メキシコの人形を持った少女の絵」も出品されているんですが、それが亀蔵さんのいう「無表情な少女」の最初期の作品のようですね

亀蔵 記号化してますよね、「少女」という存在が。まず「少女」ありきで構想を練っているのか、何かのシチュエーションを考えた後に「少女」をそこにはめこんでいるのか、そこのところはよく分からないんですが、「少女」の姿には「こだわり」があるようです。周囲に置かれている物のバランスや色遣いや色々考えているようですが、「少女」の描き方は動かせない感じです

安東 おっしゃる通りです。背景にある暖炉や台所用具は、フジタの住んでいた家にあるもので、それはすごく丁寧に描き込んでいる。だけど、少女は記号化されている。記号化がより進むのが晩年の宗教画で、少女から聖女、聖女から聖母子像へとモチーフが進んでいき、あの「少女」の顔をデフォルメした結果が聖母マリア像にたどりつくんですね。

亀蔵 「聖母子像」を見ていると、抱かれている赤ん坊の方がよっぽど表情がある

――その「少女」像には、「無垢」な姿と「邪気」が共存しているようでもありますね。フジタはネコを画題にすることについて、「ネコには『野性』と『家畜』の両面性がある」といってますが、「少女」にも「二面性」があるような気がします

安東 そうですね。

「野性」と「家畜」の「両面性」があるネコを、フジタは好んで描いた

亀蔵 何と言えばいいんでしょうね。フジタの描く「少女」の、あの無機質な感じ。仮面を被っているというか、人形のような、というか。「少女」に見つめられると、「君は何が言いたいの」って言いたくなる。決して「ワタシのこれを見て下さい」と自己主張するわけではない。だけど、なぜか眼を放せない。こういう絵を描く人は珍しい。

安東 不思議な魅力がありますよね、あの「少女」。嫌いだという人も実はいます。でも、フジタの人生を振り返ると、何となく分かるんです、どうしてああいう絵を描いたのか。フジタは太平洋戦争中に「戦争画」を描いたため、戦後になって「戦争犯罪者」と指弾され、日本を出て行かなければいけなくなる。本当は望郷の念があったといわれていますけど、そこから二度と日本に帰ることができなかった。感情を殺して生きていった。そして最後は、キリスト教に帰依して救いを求めた。「無機質」で「無表情」な「少女」は、そういう彼の気持ちの表れなんじゃないのでしょうか。写実的な絵は描こうと思ったらいくらでも描けるんですよ、フジタは。でも、それをよしとしなかったんでしょう。

亀蔵 そういう「心の動き」が時の流れと併せて分かるのが、こういう「オンリー」の美術館のいいところですね。今まで知らなかったフジタ、「少女」と「ネコ」の絵は、とても心に残りました。

(つづく)

軽井沢安東美術館を訪れた日は、見事にいいお天気だった
企画展「藤田嗣治 猫と少女の部屋」の開催概要
会場:軽井沢安東美術館(長野県軽井沢町軽井沢東43番地10)
会期:2023年3月3日(金)~9月12日(火)
休館日:水曜休館、ただし水曜日が祝日の場合は開館し、翌日の平日が休館
アクセス:JR軽井沢駅北口から徒歩8分
観覧料:一般2300円、高校生以下1100円、未就学児無料(電子チケットは100円引き)
※詳細情報は公式サイト(https://www.musee-ando.com/)で確認を

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