7日に89歳で亡くなった作曲家でピアニストの一柳慧(いちやなぎ・とし)さんは、20世紀後半の世界的な音楽家の一人だった。
昭和29年に米国に留学し、当時最先端の音楽を吸収。36年に帰国して日本の音楽界の度肝を抜く作品を発表した。実験的で前衛的なその音楽は、「現代音楽」と呼ばれた。現代音楽は難解な音楽の代名詞のようにも言われる。一柳さんは、その巨人。気難しい人物を想像させるが、ひょうひょうとして気さくな人柄の音楽家だった。
「近所だから、自宅から歩いてきたよ」。一柳さんが取材場所の都心の喫茶店に、ふらりと現れたのは令和2年8月。新型コロナウイルスによる最初の緊急事態宣言が解除されて間もなかったが、サントリーホール(東京)は現代音楽の定例企画公演「サマーフェスティバル」の開催準備を進めていた。
その中に一柳さんが監修するコーナーがあり、狙いを聞くためにインタビューをお願いした。
「現代音楽のどこが『現代』か? 21世紀には時代遅れではないか」などとぶしつけな質問をしても、「いや、まさか、こんな手厳しい取材になるとは」と笑いながら応じてくれた。
一柳さんは、「私も昔から『現代音楽』という呼び名は好きじゃない。漢字4文字で堅苦しい。独仏英語を正当に訳せば『現代の音楽』とすべきだ」という思いを明かした。
そのうえで、「現代音楽はいつの間にか、芸術性を追求するあまり聴衆を置き去りにしてしまった。このフェスティバルを機に、バッハの頃のような制限の少ない自由な音楽に回帰させたいのです」と話した。
エンターテインメントだが、ポピュラー音楽ではない。一柳さんが追い続けたのは、そんな芸術音楽だった。
「僕には、作曲しかできない。作曲さえしてれば、僕の人生は満たされる」とも語っていた。健康維持の秘密は卓球。関係者によると、今年の8月も「サマーフェスティバル」の客席に元気な姿を見せたという。
「30~50代の良い作曲家がこれからかなり出てくるはずだ」と若い世代に優しいまなざしを向けていた。「現代の音楽」が、まさに現代の若い世代によってさらに発展することを、泉下で望んでいるに違いない。
(石井健)
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