Saturday, April 2, 2022

【書評】プーチン大統領は現代のモンスターか:キース・ロウ著『戦争記念碑は物語る 第二次世界大戦の記憶に囚われて』 - Nippon.com

21世紀の今、世界がロシアのウクライナ侵攻を目撃している。多大な犠牲者と破壊をもたらしている「プーチンの戦争」を考察するうえで、本書は有力な手掛かりになる。世界各地の戦争記念碑は“歴史的文書”であり、様々な教訓を発している。

世界25の第二次大戦モニュメント

本書の原書は2020年、英国で上梓された。原題は、直訳すると『歴史の囚人たち:第二次世界大戦の記念碑が私たちの歴史と私たち自身に教えてくれるもの』である。邦訳は2月24日に始まったウクライナ侵攻の2週間前に出版された。

本書は、「おそらく人類史上最大の惨事であった」第二次世界大戦を後世に伝える世界各地の25件のモニュメント(建造物)に焦点を当てている。モニュメントは英雄像、彫刻、墓碑像、慰霊碑、記念塔、博物館、公園、墓、神社、壁画など多岐にわたるが、本書では総称的に「記念碑」としている。

本書は日米欧などの戦争記念碑を巡る「旅行ガイド」ではない。戦後75年間の各国の歴史認識の変遷や違い、その背景などについて客観的に分析し、平易に著述した一般読者向けの研究書だ。

著者は1970年生まれの英国人の歴史家・作家である。自ら25件を歴訪し、戦争体験者らにもインタビューした労作だけに、冷静な筆致の中に臨場感もある。執筆の狙いについて次のように綴る。

本書は、私たちの記念碑について、そして、それらが私たちの歴史とアイデンティティについて本当に何を教えてくれるのかについて書かれている。私は世界中から二五の、それらを建造した社会について、特に何か重要なことを示唆している記念碑を選んだ。現在、これらの記念碑の中のいくつかは、大規模な観光名所にもなっており、毎年何百万人もの人々が訪れている。それぞれ議論の余地のある記念碑であり、それぞれがそれぞれの物語を伝えている。

戦争は国によって大きく異なる方法で記憶されてきた。自分たちの国と隣国との違いを理解するには、私たちが常に共有し、共通の経験だと思っていることに対して、他者からの相反する見解を聞いてみること以外に何か良い方法があるだろうか。

ロシア人は「英雄」でなく支配者

本書では、25件の戦争記念碑を「英雄」、「犠牲者」、「モンスター」、「破壊」、「再生」の5つのカテゴリー(部)に分け、1件ごとに章を設けている。すなわち5部25章で構成されている。

第1部(6章)では「戦争の英雄へと捧げられた最も有名な記念碑」を取り上げている。「ロシアとポーランド――『四人の眠っている人』記念碑――ワルシャワ」(第2章)には、今日のウクライナ侵攻の背後にある状況を解き明かすような記述が出てくる。

ロシアの人々は第二次世界大戦における彼らの英雄たちを誇りに思っているが、たとえロシアから遠く離れた場所へ行かなくとも、戦時中にロシアが果たした役割についての全く異なる物語を各地で見つけることができる。ウクライナやポーランドのような近隣諸国において、ロシア人はしばし英雄としてではなく、植民地支配者とみなされる。

例えば、二〇一五年にはウクライナ政府も国内の完全なる脱ソ連化を目的とした法律を可決した。この法律には、共産主義のシンボルや共産主義者の像をすべて撤去し、何千もの通りや町、村の名前を変更することなどが含まれていた。

ウクライナとロシアの歴史解釈がいかに二極化しているかを示す事例である。

マッカーサーの英雄像も色あせる

著者は、アメリカ人の“英雄”も揺らいでいることを第1部の「アメリカとフィリピン――ダグラス・マッカーサー上陸記念碑――レイテ島」(第4章)で紹介している。マッカーサー元帥は第二次世界大戦後、連合国軍最高司令官として日本に進駐したことで知られるが、フィリピンでは「アイ・シャル・リターン」の公約通り1944年10月に同国中部のレイテ島に上陸、旧日本軍を撃退したことで有名だ。

フィリピンのレイテ島にある上陸記念碑、後方の一番背の高い像がマッカーサー(1991年9月10日撮影)=評者提供
フィリピンのレイテ島にある上陸記念碑、後方の一番背の高い像がマッカーサー(1991年9月10日撮影)=評者提供

レイテ島の海岸には上陸記念碑がある。マッカーサーが将校ら側近を従えて上陸する七体の像だが、「風化と腐食で少し色あせてきている」という。彼は「欠点の多い人物」だとも断じ、フィリピンの学術界にある見方をこう記述している。

マッカーサーは、かつてのように明らかな英雄ではなくなり、ある面ではフィリピンを解放するためではなく、フィリピンを自らの手に取り戻すためにレイテに上陸したアメリカ帝国主義の象徴とみなされるようになった。

アウシュヴィッツが象徴するもの

第2部(6章)では「戦没者へ捧げられた追悼記念碑」を対象にしている。「英雄は現れては消えていく。しかし、犠牲者は永遠の存在」だからだ。 

「第二次世界大戦の多くの犠牲者の中で、ユダヤ人ほど大きな被害を受けた集団は他にないだろう」。ナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺ホロコーストの主な舞台となったポーランドの強制収容所「アウシュヴィッツ」は第12章で取り上げられている。

人類史上、最も残虐な出来事ともいわれるホロコーストで「ヨーロッパのユダヤ人の約三分の二が抹殺された。大陸全体では約六〇〇万人の人々が殺された」。東欧は“血の大地”と呼ばれ、ウクライナも例外ではなかった。

アウシュヴィッツには毎年200万人以上の人々が世界中から訪れていた。犠牲者に敬意を表し、再び起こらないよう誓うシンボル的存在だが、著者は訪問者の「悪の存在を体験したいという動機には、もっと暗いものがあるのではないだろうか」と、自戒を込めてこう続ける。

ここに来ることで、私たちは必然的に、この病的な物語の両方の側面に関与することになる。換言すれば、アウシュヴィッツはホロコーストの犠牲者のための記念碑であるだけでなく、その加害者の記念碑でもあるのだ。

チャーチルを英雄にしたヒトラー

第3部(5章)では「戦争の主要な犯罪者を刻んだ追悼の場」が題材となる。「モンスター」にたとえられるムッソリーニの墓(第15章)、ヒトラーの総統地下壕(第16章)、スターリンの彫像(第17章)なども含まれる。著者はこう看破する。

ヒトラーやスターリンのような男たちは、けして力だけで権力を獲得したのではない。彼らには、カリスマ性があり、雄弁で、そのレトリックの力で何百万人もの人々を魅了することができたのだ。彼らは自分たちを悪人ではなく、行動力のある人間だと考えていた。彼らの歪んだ論理によれば、彼らは単に自分たちに犠牲を強いる、資本家、帝国主義者、ユダヤ人といった邪悪な世界的勢力から支配権を奪い返そうとしていただけなのであった。しかし、彼らが行っていたことの実態は、これらの集団を悪魔扱いし、大量虐殺の憎悪を煽ることだった。

英雄や犠牲者の記念碑を可能にしているのは、これらの人々、つまりモンスターの記憶の存在である。

ウインストン・チャーチルが未だに英雄として崇められている理由は、彼の勇気や決断力のおかげではなく、彼がヒトラーに立ち向かった人物だったからである。

著者は「英雄は悪役なしに存在できず、犠牲者もまた、それなしには存在できない」と説く。「現在のチャーチルを作ったのはヒトラーなのだ」とも。

20世紀の「アルマゲドン」と再生

第4部(4章)では「終末論的な戦争の破壊に関する記念碑」、第5部(4章)では「その後の再生のための記念碑」をそれぞれテーマにしている。

第二次世界大戦が「善と悪の壮絶な戦いであったとするならば、最終的に善が勝ったことに対して、私たちは当然、大いに満足することができる」。しかし、その一方で20世紀の「アルマゲドン(世界最終戦争)」のような破壊力を持ったものとしても記憶されている。「マニラ、ワルシャワ、東京、そしてベルリンのような都市の徹底的な破壊は、戦後、戦争への称賛の余地をほとんど残さなかった」からだ。

著者が再生の記念碑の筆頭に挙げたのは、「国際連合――国連安全保障理事会会議場の壁画」(第22章)である。「この絵は、第二次世界大戦後にノルウェーの画家ペール・クローグによって作成されたもので、そこには長年の戦いを経て息を吹き返した世界が描かれている」。だが、ニューヨークに本部がある国連は必ずしも世界の平和と安定に寄与できていない。

今回のロシアによるウクライナ侵攻も止められなかった。ウクライナのゼレンスキー大統領が3月23日、オンライン方式での日本の国会議員に向けた演説で「国連も安全保障理事会も機能しなかった」と批判、国連改革の必要性を訴えたのは印象的だった。

英国人歴史家の「日本の記念碑」観

本書に列挙された記念碑で、東アジアにあるものは5件。「マッカーサー上陸記念碑」(第4章)と「中国――南京大虐殺記念館」(第8章)、「韓国――慰安婦像――ソウル」(第9章)、「日本――靖国神社――東京」(第14章)、「日本――原爆ドームと平和祈念像――広島・長崎」(第21章)である。

英国人歴史家の著者に、日本の記念碑はどのように映っているのだろうか。靖国神社については「特に欧米において、非常に多くの誤解がある」としたうえで、「日本の近隣諸国から嫌われているのは、単にここが、任務中に命を落とした普通の日本兵を祀る施設ではなく、一九五〇年後半以降、東京裁判で有罪判決を受けた戦犯の御霊をも公然と祀る施設でもあるからだ」と指摘する。昭和天皇は「A級戦犯が合祀されてからは一度も参拝していない」とも付け加えている。

神社の後側に「憲兵隊」の記念碑が建っていることには、次のように非難している。

欧米においてはこの組織はナチス親衛隊やソ連の秘密警察といったものに相当する。それがいったいどうして、このような敬意をもってここでは記念されているのだろうか。

広島の「原爆ドーム」と長崎の「平和祈念像」への著者の視線は複雑だ。

広島と長崎は、日本が戦争の加害者ではなく被害者であることを疑うことなく示している。現在、日本政府や新聞は、日本を「唯一の被爆国」と日常的に表明しているが、これは少なくとも一九七〇年代からのことである。原爆ドームは、特に、このような被害者意識において重要な役割を果たしている。それは日本の原爆受難における最大の象徴なのだ。

しかし、この考えは、自動的に日本国全体に対するある種の赦しを意味するために、かつての交戦国であった国々の多くの怒りをかうことになった。現在の日本人は必ずしも、過去の責任を取ろうとはしていない。理由として、その必要性を感じていないからであり、広島と長崎はすでに自分たちが代償を払った証拠だと考えているのだ。

これに憤慨するのは簡単だが、このような被害者意識の考え方には、もっと賞賛に値する裏の面もある。少なくとも、広島と長崎の慰霊碑には、誰かを非難する言葉は一切ないのである。

核兵器の使用を敢行した米国の指導者を中傷していないことなどについて著者は「日本は戦争に対する自らの責任を回避するだけでなく、かつての敵の責任をも回避させている。これは、許しや和解とは全く異なるが、一九四五年以来、日本とアメリカの関係で役立ってきた新しい友情の基礎を形成している」との見方を示している。

「英雄」視されるユダヤ系大統領

本書で紹介された25件の記念碑のうち「ほぼ三分の一は二〇〇〇年以降に作られた」。21世紀に入っても、第二次世界大戦に関係する記念碑は増え続けている。「戦争に対する私たちの関心は、衰えるどころか、ますます高まっているようである」と著者は結論づける。

米国の影響力が低下し、「世界の警察官」の役割を果たせない中、ロシアのプーチン大統領はウクライナへの軍事侵攻を強行した。テレビだけでなくインターネット、ソーシャルメディアなどが普及している今、世界中の人々が同時進行的に戦場の「犠牲者」や「破壊」を目の当たりにしている。

ユダヤ系とされるゼレンスキー大統領は各国の議会や北大西洋条約機構(NATO)首脳会議などでオンライン演説を重ね、自国への支援と対ロ制裁の強化を訴えている。3月8日の英議会下院に向けての演説では、ロシアを第二次世界大戦時のナチス・ドイツになぞらえ、当時の英首相チャーチルの言葉を引用しながら「我々は決して降伏しない」との決意を披歴した。

44歳のウクライナ大統領は国際社会でも「英雄」視され始めている。半面、核戦力までちらつかせるプーチン大統領は現代の「モンスター」と化している。だが、本人は“英雄”を自負しているのかもしれない。

プーチン大統領の名前は、本書では第1章「ロシア――『母なる祖国像』――ヴォルゴグラード」に登場する。

戦争の賛美は、新しい国民的アイデンティティを築くためのウラジーミル・プーチンによるプログラムの中心的支柱となっている。

第1章の主題は、ヴォルゴグラード(旧スターリングラード)に設置された「母なる祖国が叫ぶ!」と題された高さ85メートルの女性像や何体もある英雄像など巨大な彫刻群だ。同章では、ロシアでも近年、新たな戦争記念碑が次々に建てられていることにも言及し、著者はこう吐露している。

ロシア人が戦時中の英雄的行為をこれまで以上に主張するようになったのは、彼らの社会に新たな不安定さ、もしくは脆弱性が生まれているからではないかと感じずにはいられない。

第二次世界大戦以降、最大の危機となっている現下の侵略戦争は「民主主義の危機」でもある。しかも新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的大流行)も終息していない。一刻も早い停戦が必要だ。プーチン大統領は停戦交渉で、直ちに賢明な判断をすべきだ。今年10月で70歳と「古稀」を迎える彼はかつて、日本との北方領土問題で“引き分け”を提案したこともある。

『戦争記念碑は物語る 第二次世界大戦の記憶に囚われて』

キース・ロウ(著)
田中 直(訳)
発行:白水社
発行日:2022年2月10日
価格:3520円(税込み)
四六判:350ページ
ISBN:978-4-560-09881-3

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