67年前(昭和30年)の「森永ヒ素ミルク中毒事件」で、乳児の時に粉ミルクを飲んで脳性まひになった大阪の68歳の女性が、「症状が悪化し続けている被害者への補償が不十分だ」と主張して、粉ミルクを製造した森永乳業に対し、5500万円の慰謝料を求める訴えを起こしました。
訴えを起こしたのは、昭和30年、東京に本社のある森永乳業が製造したヒ素が入った粉ミルクを飲んだ乳児が、死亡したり重い後遺症が残ったりした「森永ヒ素ミルク中毒事件」で被害に遭った大阪市の女性(68)です。
訴えによりますと、女性は乳児の時にヒ素が入った粉ミルクを飲んで脳性まひなどを患い、左半身が動きにくいうえ、年齢を重ねるにつれて手足のしびれなどの症状も進行し、歩くことも難しくなり、平成16年に障害の等級が最も重い1級に認定されました。
事件の被害者の救済事業を行っている協会からは、毎月およそ7万円の手当を受けているといいます。
しかし、この手当では症状が悪化し続けている被害者への補償としては不十分だと主張し、森永乳業に対して、精神的苦痛を受けたことなどの慰謝料として、5500万円の賠償を求める訴えを大阪地方裁判所に起こしました。
原告の女性は、「体は悪くなる一方で、いつ寝たきりになるかわからない状態です。森永乳業は謝罪の気持ちがなく、協会も重症被害者のことは無視したような態度と救済だと思います」と話しています。
【弁護士“50年前の救済変えたい”】。
原告の女性の代理人の田中俊 弁護士は、「乳児の時にヒ素が入った粉ミルクを飲んだ方が高齢になって、日々症状が悪化している人もいる。この裁判で一石を投じ、50年前の不十分な救済内容を変えたい」と話していました。
【森永乳業は】。
訴えについて、森永乳業は「訴状が届いていないので、コメントは差し控える」としています。
【ヒ素ミルク事件の救済は】。
「森永ヒ素ミルク中毒事件」は、67年前の昭和30年、森永乳業が製造した粉ミルクに人体に有害なヒ素が混入し、この粉ミルクを飲んだおよそ130人の乳児が死亡したほか重い後遺症が残る人が出るなど、西日本を中心に1万3000人余りの被害者が出た事件です。
被害者を救済するために、昭和48年、国と森永乳業、それに被害者団体によって、森永乳業が被害者救済の義務を負い、救済の費用を負担するなどとする確認書が作成され、翌年、被害者を救済する事業を行う「ひかり協会」が設立されました。
協会の救済事業では、被害者への一律の一時金の支払いはありませんでしたが、障害のある被害者に対して、現在まで毎月、手当を支給しています。
手当は、被害者の障害の等級や、自分で家事ができるかなどを審査して算定し、毎月、およそ3万円から7万円余りが被害者に支払われ、費用は森永乳業が全額負担しています。
協会によりますと、受給者の高齢化が進んでいますが、症状が変わったという相談などは少ないということです。
障害が重くなるなど症状が変わった場合は、協会の事務局が定期的な面会の際や電話などで相談に応じていて、再度、支給額について審査をしているといいます。
協会によりますと、ことし3月末時点で、認定されている被害者は1万3459人で、このうち1574人がすでに亡くなっていて、571人が手当を受給しています。
からの記事と詳細 ( 森永ヒ素ミルク中毒事件 “症状悪化し続けている” 提訴|NHK 関西のニュース - nhk.or.jp )
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