サウナの魅力、そしてブームの正体を解き明かしてきた特集連載「現代の茶室、サウナ」。今回は「サウナー」、ではなく「サウニスト」を自称する作家・浅田次郎氏のインタビューをお送りする。「小説の半分はサウナで書いた」と冗談交じりに話すほどの愛好家は、現在のブームをどう見ているのだろうか。
浅田次郎(あさだ・じろう)氏
1991年に小説家としてデビュー後、97年『鉄道員(ぽっぽや)』で直木賞受賞。『蒼穹の昴』など歴史小説を含め、人気作を多く世に放つ。近著は『母の待つ里』(新潮社)。70歳。(写真:共同通信)
自らを「サウニスト」と称する浅田さんですが、狭心症を患ってからは入っていないんですよね。
浅田次郎氏(以下、浅田氏):サウナは入りすぎには気を付けないといけないです。たばこもやめました。もう少し生きなきゃならないのでね。
サウナを最初にたしなんだのは高校生の頃と聞いています。
浅田氏:そうだね。僕の記憶では昭和40年代半ばには今の形のサウナがもうあったんですよ。それ以前はスチーム式が多くて、ドライサウナはあまりなかったと思う。その出始めの頃からずっと入っていましたよ。
当時のサウナは入浴料も高そうです。
浅田氏:値段が全然違う。今でこそ、サウナ関連の設備はあらかじめ様々なものが整っているからコストダウンできるんだろうけど、東京の真ん中のビルの中でサウナの設備を造るにはそれこそ、ビルごとそういう仕様にしなきゃいけなかったから。今の感覚でいうと1人1万円払うくらいの場所だった。その分、どこに行ってもとてもデラックスでしたよ。高級で、子どもの行くところではなかったです。
高校生は浮いてしまうでしょうね。
浅田氏:そうだし、普通のサラリーマンだって入らないですよ。仕事を抜け出して入るなんてとんでもない。その筋の人とか、すごく暇そうなおじいさんとか、高等遊民的な人が丸1日使って楽しむ、セレブな空間でしたから、若い私は“異邦人”でした。
ただ、昔の高校生はそんなに真面目じゃなかったですからね。今みたいに「いい子」ばかりじゃなくて、すごく大人びたやつとか、逆に子どもっぽいやつとか、うんと勉強できるやつとか、全然勉強ができないやつとか。いい意味でもっと個性があった。
今は画一的になってしまっている。
浅田氏:その通り。全国どこに行っても新幹線の駅が同じ顔(見た目)をしているのと同じで、もちろんその方が使いやすくてデラックスではあるんだけど、一駅一駅違う駅舎の形をしていた昔の方が旅情があるし、美しくもある。世の中は合理化されていくとつまらなくなりますね。そういう意味では僕らの頃の高校生はすごく面白くて、1万円の金を払ってサウナで一日中暇をつぶす高校生もいたわけだ。
それを許容してくれる世の中だったと。
浅田氏:自然とね。今、格差社会だなんだと言われるけど、収入のことだけでそう言われるでしょう。でもそうじゃなくて、もっといろんな考え方がある。僕らの若い頃はいろんな人間がいて、バラエティーに富んだ社会だったことは確かで、楽しかった。
本当は個性を一人ひとり持っているのかもしれないけれど、ついついあるべき社会という一つの「箱」の中に収められてしまう。
浅田氏:つまらないよね。若い人を見ていると、編集者でもサラリーマンでも、全員同じ人に見えてくる。均一化されてしまった。全体的にレベルアップした均一ではあるんだけれども、いかにレベルアップしても均一化はつまらないね。
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