不寛容な人物に対して寛容になれと言う。その押し付けは不寛容を容認しない狭量な行為に当たるのではないか。「寛容のパラドックス」とされる事態だ。自己矛盾と分かっていても、昨今の息苦しい風潮には一言物申したくなる▼同調できない発言や行為に対して非難のつぶてを投げ付ける。インターネット上での炎上騒動が後を絶たない。異論や反発は時として誹謗(ひぼう)中傷のうねりとなる。当事者が負う心の傷は深い▼交流サイト(SNS)の発達で人々は手軽に意見や情報を発信できるようになった。考えの異なる他者とどう向き合うか。時代に合ったルール整備は、新たな寛容の形を探る作業なのかもしれない▼森本あんり東京女子大学長は米国の寛容、不寛容のせめぎ合いの歴史を追った著書『不寛容論』をこう結んでいる。「(人と人が)完全にわかり合えるということはない。それでも、受け入れることはできる」。主張する権利を互いに尊重しつつ、対話へつなぐヒントがここにある▼とはいえ、看過できない事象もある。例えば大国の指導者による隣国の主権侵害。例えば軍隊による市民の虐殺。そんな非道に寛容ではいられない。誹謗ではなく平和への祈り、中傷ではなく戦火にあえぐ人々への連帯の思いを込めて「NO」の叫びを。(2022・5・24)
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