現代日本を代表する小説家で、日本人として2人目のノーベル文学賞を受賞した大江健三郎さんが、3月3日、老衰のため亡くなりました。
88歳でした。
大江さんは、1935年、現在の愛媛県内子町で生まれ、東京大学在学中に発表した作品、「奇妙な仕事」で注目を集めたあと1958年には「飼育」で芥川賞を受賞しました。
その後も数々の文学賞を受賞し、新しい世代の作家として戦後の日本文学界をリードしました。
そして1994年、川端康成に続いて日本人としては2人目となるノーベル文学賞を受賞しました。
核兵器や平和の問題に対しても文学者の立場から向き合い、広島で取材した被爆者や医師の姿を描いた「ヒロシマ・ノート」はベストセラーになりました。
また、憲法改正に反対する「九条の会」や脱原発を訴えるデモの呼びかけ人として名を連ねるなど社会問題に対しても積極的に取り組み、発言を続けてきました。
講談社によりますと、大江さんは今月3日未明、老衰のため亡くなったということです。
88歳でした。
●広島でも悼む・原田浩さん
原爆資料館の元館長で被爆者の原田浩さんは、館長在任中の1995年、大江健三郎さんに館内を案内しました。
大江さんの訃報に接し、原田さんは「ずいぶん広島に対して思い入れを持っていらっしゃったので残念としか言いようがない」と惜しみました。
原爆資料館を案内した際の大江さんの様子について、「熱心に展示をご覧になりましたが、それ以上に印象に残っているのは、私の被爆体験をぜひ聞きたいと言われ、お話ししたことです。非常に大きな衝撃を受けられたのではないかと思います。核心に触れる部分を心に受け止めてお帰りになられたのではないかと思う」と振り返っていました。
そのうえで原田さんは、「大江先生の残されたいろいろなメッセージを少なくとも日本は受け止めて、いまの世界情勢に向けて取り組む姿勢を持ってほしいという気持ちでいっぱいです」と話していました。
●広島でも悼む・森瀧春子さん
核兵器の廃絶を目指す市民団体の顧問を務める森瀧春子さんは、2014年に大江健三郎さんの講演会を開催しました。
大江さんの訃報に接し、森瀧さんは、「本当に残念というか寂しい思いでいっぱいです。お会いしたのは2度くらいですが私にとってはもちろん広島や国内外にとって大きな存在だった。失った存在の大きさを実感しています」と話していました。
大江さんは、森瀧さんの父で核兵器廃絶運動の先頭に立ち続けた森瀧市郎さんとも交流がありました。
森瀧さんは、「大江さんは父のことを1人の哲学者として被爆者として父が思っていたことを深く理解してくれていた」と振り返りました。
そして、「大江さんは、原爆が広島にもたらした人間的悲惨さを心から理解して表現してくれる存在だった。そのような大江さんの立場からもっともっと発信してもらいたかった」と死を惜しんでいました。
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