合唱としてのヴァナキュラー ミュージックビデオの冒頭、きらめく星のアニメーションを内包した文字が映し出される。濃淡のある線は黒い背景に所々溶け込み、やや判読しづらく、umiは波形図のように一連なりに見える。αのような&。YouTubeのタイトル欄から何が書いてあるか理解することができる。「umi ga kikoeru feat. dove & le makeup」……umi ga kikoeru……うみ が きこえる……。 小松千倫(Kazumichi Komatsu)による、プロデューサー/シンガーのDoveとLe Makeupをフィーチャリングした「海がきこえる」。Madegg名義でトラックメーカー/DJとしても知られる小松が、11月に初めて本名で発表したアルバム『Emboss Star』に収録された楽曲だ。 現代美術の領域でも作品発表を行う小松は近年、音楽制作とのあいだで多くの共同制作を行ってきた。金氏徹平による演劇作品では荒木優光とともにサウンドデザインを担当。芸術資源研究センター(京都市立芸術大学)によるダムタイプ《pH》デジタルアーカイブ化構想にも従事し、ヨコハマトリエンナーレ2020の「エピソード00」として展開されたイシャム・ベラダ《Présage(予兆)》でも音響を制作している。『Emboss Star』は、4、5年のあいだのこうした活動やパーティ、レイヴ、EPの発表などによって蓄積された雑多な実験を掘り起こし、10曲、およそ30分に集約したものだ。 筆者は「MOTアニュアル2019 Echo after Echo:仮の声、新しい影」(東京都現代美術館)で発表されたファッションレーベル・PUGMENTによる《Purple Plant》の制作に関わるなかで、小松と協働をする機会に恵まれた。戦後、代々木にはアメリカ軍将校の宿舎群ワシントンハイツが建てられていた。オリンピックの開催をきっかけに選手村として日本に返還された同地区は、その後現在の代々木公園となる。隣接する原宿はこうした代々木の来歴とともにファッションの聖地として栄えてきた。そこに生きた人々を蘇らせる工場=プラントをつくり出すPUGMENTの試みに、小松はメインボーカルを務めたCristel Bereとともに、古着のTシャツから抜き出した文字によって賛美歌や労働歌、軍歌などのフォークソングをつくり呼応した(そのうちの1曲「Followers」はアルバムに収録されている)。 フォークソングには、その時代を生きた人々の生が織り込まれている。アメリカ文学・文化研究者のウェルズ恵子は、産業の急激な発展とともに「生き物のように姿を変えた」18世紀から20世紀初めのフォークソングに関する研究を行っている。先住民の文化を除いて、移民によって持ち込まれた歌は、互いを鼓舞する労働歌や物語を伝えるバラッドとして改変されながら歌い継がれていった。奴隷として母国から連れてこられたアフリカ系の人々は、叱責を逃れるため宗教歌に多重に隠喩を加え抵抗の意を示していたという。ときにそうした複雑さは、歌詞から本来の「意味」を脱臼するまでに到り、そのナンセンスなユーモアが親しまれることもあったようだ(*1)。 「フォーク/民話」というテーマを掲げる『Emboss Star』において、小松はインターネット・カルチャーにその姿を見ている(*2)。小松が美術作品のなかでしばしば素材とする、インターネットで流通する画像や記号(インターネット・ミーム)もそのひとつだろう。音楽共有プラットフォームSoundCloud上では、有名無名を問わない膨大なアカウントによって既存曲が参照されたり、カバーやリミックスとして引き継がれることで、おびただしい数の「フォーク」が生まれ続ける。 アルバムを通して小松はこうした交雑性を聴取の対象にしようと試みる。本作にアンビエント、ポップス、フォーク、R&B、エレクトロアコースティック、モダンクラシック、サイケデリックといったジャンルを聴きとった音楽ライターのエドワード・カニングハムが指摘するように、そこにあるのは、DTMソフト上で素材を並べることで生まれた、段層やムードの変化を聴取する経験だ(*3)。ラジオを通したかのようなノイズ、グリッチ、劣化による音割れや唸り、フィールドレコーディングによる環境音や物音、テープの巻き戻し音など不純物を思わせる要素が挿入され、浮遊感のあるトーンに混じり合う。 映像も小松自身が手がけた「海がきこえる」のささやかなミュージックビデオには、その態度が結実している。この曲は元々、鈴木博文(ムーンライダース)と美尾洋乃によるユニットMio Fouの「海の沈黙」(1984年リリースの『Mio Fou』収録)をカバーとして構想されていた。しかし、DoveとLe Makeupとのやりとりを通して、もとの曲から手がかりを抽出し、創作を重ねるなかで、別の楽曲になったという。 「海の沈黙」は朧げな風景を歌いあげる。ギターやピアノ、電子音などからなる周期的なトラックの上で美尾洋乃が呟くように歌い、次第に複数のコーラスが重なっていく。「ぼくらは思い出を/つくるためにだけ出会い ぼくらは思い出す/ためだけに別れた/筈」。 「海がきこえる」はそうした周期的なトラックとコーラスによる層構造を引き継ぎつつ、層と層の不一致を強調する。メインボーカルはトラックに対し前のめりに歌う。音と音は時折、互いを阻害するように重なり、鈍い響きとなる。リリックビデオの手法を踏襲した映像では、歌詞が2~5字のアルファベットの配列に分解され表示されていく。字幕はしばしば一瞬遅れて表示され、グルーヴを生む。「もう二度と(mou/ni/do/to)会わないきっと(awa/nai/kitto)そう思うために(sou/omou/tame/ni)出逢ったんだろ(de/attan/da/ro)」。DoveとLe Makeupが新たに書いた歌詞は──順に歌われていくなかで、どこまでが現実でどこまでが思索なのか不確かに感じられる──もとの歌詞の性質を見事に引き継いでいる。そして歌の意味を伝えるためのリリックビデオの機能は反転し、言葉を音に、音を形象へと還元する。 映像では、薄明かりが射し込むベッドの上で誰かがiPhoneを持っている。少し割れたディスプレイはInstagramの「ストーリー」という機能による動画を映している。ささやかな日々をとらえた短い映像は、指でタップしていくことで──これもまたトラックと同期したりしなかったりする──光の断片となり、次々に切り変わっていく。24時間経つと消えるはずの「ストーリー」は「ハイライト」という機能によって複数まとめ、保存することができる。現在でも小松のアカウント(@komatsu_kazumichi)にあるこのハイライト「う」は、表示によれば142週間前か32週間前の私的な記録だ。外部化された記憶のスケッチは、その上に重ねられた文字や音の断片を束ねている。 『Emboss Star』において私たちは、文化の遺伝における交雑性を聴取する。ミュージックビデオ「海がきこえる」はそうした経験をより鮮明に浮かび上げる、増幅器のようなものとして機能している。そこに小松が取り組んできた実験的領野のひとつの達成と、新たな探究への萌芽をみることができる。 *1──ウェルズ恵子『フォークソングのアメリカ ゆで玉子を産むニワトリ』南雲堂、2004 *2──堀田慎平によるインタビュー「『大きなスパンで変わっていくものを僕らはどう実感するのか』Madegg改めKazumichi Komatsuの創造新領域」『TURN』:turntokyo.com/features/kazumichi-komatsu-emboss-star-interview(閲覧日2020年12月18日)。またインターネットミームについては下記で論じられていたことが記憶に新しい。ウールズィー・ジェレミー「インターネット民芸の盛衰史」『美術手帖』2019年6月号 *3──Ed Cunningham "Ed’s Picks: Top 5 Japanese Albums of November 2020," Tokyo Weekender : www.tokyoweekender.com/2020/12/eds-picks-november-2020(閲覧日2020年12月18日)。また下記を参照した。Chris Sawle “PREMIERE: Kazumichi Komatsu – 'Orca': textural dreamstate IDM,”backseat mafia : www.backseatmafia.com/premiere-kazumichi-komatsu-orca-textural-dreamstate-idm(閲覧日2020年12月18日)
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