幕末の国学者・歌人で、河内や大和の天皇陵を調査した
光平は尊光寺に「鈴木信丸」として生まれ、京都・西本願寺などで修行後、全国を巡って和歌や国学を学んだ。歌人・大伴家持の祖神をまつった地元の同神社の名にちなみ、「伴林六郎光平」と改名した。各地で天皇陵を調べては荒廃ぶりを嘆き、当時の古墳の状況を伝える貴重な史料を残した。晩年は尊皇
光平については、読売新聞記者を務めた小説家の
「古墳調査の第一人者だった郷土の偉人をもっと知ってほしい」。柏原市在住で、百舌鳥・古市古墳群の観光活用に取り組んでいる中村宏さん(85)が、この本に着目。絶版されていたため、専門家の協力も得て現代語に直した。光平の顔つきから「どんぐり
中村さんは「光平の調査後、各地の古墳は少しずつ整備され、現代の世界文化遺産の古墳群につながった」と先人の遺業をたたえる。現代版は藤井寺市内にある「伴林光平先生顕彰館(天忠組記念館)」(090・5010・3995)で購入できる。
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