Friday, February 17, 2023

可愛いだけじゃない、現代の綺想画にうっとり 『ヒグチユウコ展 CIRCUS FINAL END』レポート - http://spice.eplus.jp/

心が踊って心がザワつく、とびきりキュートな展覧会がやって来た。その名の通り、これはまさにサーカス! 森アーツセンターギャラリー(六本木ヒルズ森タワー52F)にて2023年4月10日(月)まで開催されている『ヒグチユウコ展 CIRCUS FINAL END』。ここでは、その内覧会レポートをお届けする。

サーカス東京にふたたび!

『ヒグチユウコ展 CIRCUS』は画家・絵本作家のヒグチユウコによる初の大規模個展。2019年の東京を皮切りに、これまでに9都市を巡ってきた。そして『FINAL END』と銘打たれた本展は、これまで展示しきれなかった大量の作品や、描き下ろし新作を加えてさらにパワーアップした“最終公演”だ。前回の東京展を体感している人も、見逃してがっくりしていた(筆者のような)人も、駆け出して行こう。サーカスがやってきた!

会場エントランス

会場エントランス

ヒグチユウコの名前は知らなくても、その作品は多くの人がどこかで目にしたことがあるのではないだろうか。画家の活躍はジャンルの枠を越え、絵本以外にも、エンタメやファッション界とのクリエイションなど多岐にわたる。女の子、ニョロニョロ伸びる植物たちに、不思議な生き物……そんなモチーフを繊細なタッチで描く彼女の作品は、ひとことで言うなら“現代の綺想画”だと思う。可愛くて、不思議で、ちょっと怖い。そんなヒグチユウコの仕掛けるサーカスの世界へ、天幕をめくって踏み出していこう。

展示室の手前には真っ赤なカーテンがセットされ、サーカス気分を高めてくれる

展示室の手前には真っ赤なカーテンがセットされ、サーカス気分を高めてくれる

お楽しみに言葉はいらない

展示風景

展示風景

展示室には、大小さまざまな作品が密度高く並んでいる。今回の展示総数は約1,500点。巡回時の約500点から約3倍になっており、かなりのボリュームだ。本展では、作品ごとのタイトル表示や解説、チャプター分けなどはほぼ無い。上下左右に視線を遊ばせて、各人が見たいものを見たいだけ見ればいいのである。

展示風景

展示風景

さっそく気になるのは、ボスやブリューゲルといった巨匠の綺想画をヒグチ流に仕立て直した作品たちだ。西洋絵画好きなら「これは!」と忍び笑いが止まらないはず。単純なパロディではなく、元の作品が持つ不気味さ・可笑しさはキープしつつ、宗教色や下ネタ要素を美しく排除しているあたりがお見事だ。お化けのような「ひとつめちゃん」が、驚くほどボスの世界観にマッチしていて可愛い。

展示風景

展示風景

可愛い作品を取り上げ始めるとキリがないが、展示室の中ほどで突然現れるイーブイ(ポケットモンスター)の連作には、心中でうれしい悲鳴を上げてしまった。16世紀の名画からゲームキャラまで、この画家はとにかく題材の振れ幅が大きい。そして何を描いていても、対象をいちど自分の腹に入れてから出しているような、確かな消化(昇華)ぶりである。

心づくしのおもてなし

展示風景

展示風景

続いてのエリアに足を踏み入れれば、そこはサーカスの中心部。ご陽気でちょっと寂しげな音楽が小さく流れ、視界を彩るストライプの天幕にテンションが上がる。

展示風景

展示風景

「CACAO CAR RACING」の文字を冠した中央のミニステージでは、カカオの車に乗ってレースする奇妙な生き物たちのぬいぐるみが。これはぬいぐるみ作家の今井昌代とヒグチユウコが共作した、同名の絵本に登場するものらしい。本展では今井昌代がヒグチワールドを立体化したぬいぐるみ作品がほかにも数多く展示されており、鑑賞に奥行きを与えている。

展示風景

展示風景

それにしても、壁を埋め尽くす猫たちは圧巻だ。中央はヒグチユウコの絵本に登場する「ギュスターヴくん」。頭がネコで足がタコで両手がヘビ、という不思議な生き物だ。

展示風景

展示風景

展示室内には、来場者を楽しませるためのちょっとした仕掛けがいくつも用意されている。例えばこれは、何層にも風景を重ねた、シャドウボックスの中に入り込んだような凝った演出だ。

さらに、展示室の壁にはいくつか小さな穴が空いており、覗き込むとギュスターヴくんたちのアニメーション映像が密やかに流れている。「覗いてみてね」などの案内は無く、見落としてしまいそうな何気なさだ。うーん、これは確信犯に違いない……。どうやったら人がニヤリとするかをよく分かっている人の仕業である。

主役級が勢揃い

展示風景

展示風景

さて、いよいよ本展の見どころのひとつ、大判作品の展示である。これらは『ヒグチユウコ展 CIRCUS』が巡ってきた都市ごとのメインビジュアル用に描き下ろされたもので、揃ってお目見えするのは今回が初めて。一枚一枚にずっしりと見応えがある作品たちだ。

展示風景

展示風景

表情豊かな絵本の世界

展示風景

展示風景

続いては、絵本作品の原画を展示したエリア。一枚で完結する絵画作品と比べて、より喜怒哀楽の豊かな表情を見られるのが絵本ならではのポイントだ。『卑怯な蝙蝠』と夢野久作の『きのこ会議』の物語は原画で丸ごと読めるので、ちょっと得した気分である。

展示風景

展示風景

絵本『すきになったら』の原画を見てみると、作家の制作過程がうかがえて面白い。少女のパーツを何通りも描いたうえで、組み合わせを試行錯誤して構成しているようだ。

驚きのメリハリ

展示風景

展示風景

いくら可愛くて幻想的だからと言って、同じテイストの作品が1,500枚もあったらさすがに飽きるだろうな、と思っていたら……。突然の“味変”にびっくり! ちょっとした和室のような空間に、掛け軸や、刺繍入り座布団などが展示されている。奥に見えるのは猫の《風神雷神図屏風》だ。

展示風景

展示風景

思わず見入ってしまうほど迫力あるニワトリは、伊藤若冲へのオマージュ。右手のギュスターヴくんは「若冲」と書かれた画集を抱えている。展示冒頭で見られる《ワニ》もそうだが、こういった身近な生物を描いた作品に見られる質感描写の凄まじさは、本展の大きな見どころである。作品全体は非現実的なのに、描かれているもの一つひとつは不気味なほどリアルなのだ。

展示風景

展示風景

そして衝撃のメリハリはまだ続く。脳が和風に染まってきたところで、今度は突然のゴシック・ホラー風空間である。ここでは絵画作品と立体作品を組み合わせ、ガラスケースごとに短編小説のような物語性のある展示がされている。

展示風景

展示風景

こちらは、ヒグチユウコがメインビジュアルを担当した舞台の衣装。よくよく見ると、襟元の小さなくるみボタンは眼球の形をしている。舞台ではおそらく見えなかっただろうけど、身につけた俳優のテンションはさぞや上昇したことだろう!

闇に明かりを灯して

展示風景

展示風景

奥では、頭がランプになった11体のトルソたちがお出迎え。それぞれの体にはペイントや刺繍で細やかに装飾が施され、シェードの部分もオリジナルのテキスタイルで作られているようだ。会場内は薄暗く、秘密結社の儀式かのような妖しいムードに包まれている。

展示風景

展示風景

ここでは、女の子をモチーフにしたミステリアスな作品が集中的に展示されている。大きな瞳の愛らしい少女たちと組み合わせられるのは、渦巻くリボン、巨大なハサミ、コウモリにカタツムリ……といった不気味なアイテムたち。本展の中でも特に、ヒグチユウコのダークな面をたっぷりと味わえるエリアだ。

展示風景

展示風景

左の《オフィーリア》は、ミレイの同名作品を下敷きに『ハムレット』の悲劇のヒロインを描いた一作だ。注意深く見ると、バラや少女のまぶた、唇にだけほんのり彩色が施されていて美しい。右下にある小さな円形作品は、書籍『アナトミカル・ヴィーナス』の帯のために描かれたもので、色鮮やかな血管の隣に「いちばんうつくしいものは からだの中にかくしてあるの」との言葉が添えられている。体内の描写へのこだわりを見せるこの画家の、核心に触れている一言なのではないだろうか。

多彩な広がりを見せるヒグチワールド

展示風景

展示風景

先へ進むと、雰囲気は一転。画家が近年力を入れているという、映画ポスターのコーナーだ。宣伝用ポスターよりさらにアート性を高めた「オルタナティブ・ポスター」というジャンルがあるのだと本展をきっかけに初めて知ったが、描かれたどの映画も、ヒグチ流に再解釈されることで新たな魅力を獲得している。特筆すべきは2020年の『ミッドサマー』のポスターで、ヒグチ作品によく登場する眼玉のついた花のモチーフが、映画の内容とこの上なくマッチしている。なお、題材となっている映画はホラー作品がほとんどだが、中にさりげなく『風の谷のナウシカ』が混ざっているので、ホラーはからきし……という人も、冴えわたる王蟲の描写に注目してみてほしい。

展示風景

展示風景

会場内を進むと、ハイブランド・GUCCIとのクリエイションを一堂に集めた、否応なしに胸がときめいてしまうコーナーも。原画とともに、バッグや子供服などのプロダクトがケース内に並んでいる。

展示風景

展示風景

このほか、ラベルデザインやタイポグラフィなど、小型の作品をじっくり眺められる展示コーナーが続く。大判作品の魅力とはまた別に、ヒグチユウコのタイポグラフィはすごい。動植物を駆使して形作られた文字は驚くほど自然かつユーモアに溢れており、「この手があったか〜!」とニヤニヤしてしまう。例を挙げるなら、GUCCIの「C」は丸まったワニだし、「I」はシュッと伸びたヤリイカである。近くで見つめれば見つめるほど、面白さを発見できるコーナーだ。

ここは秘密です

最後のエリアでは、ぬいぐるみのギュスターヴくんのアニメーションムービーと、描き下ろし新作《終幕》の制作過程映像が上映されている。特に《終幕》制作過程の映像は必見。画家の手で画面が埋め尽くされていく様を早回しで眺めていると、タネのない手品を見ているかのようだった。

展示風景(中央が《終幕》)

展示風景(中央が《終幕》)

そしてその先には、お楽しみのミュージアムショップが待っている。ショップ入口で迷わずカゴを手に取り、展覧会限定盤『ヒグチユウコ画集 CIRCUS Exhibition Edition』(税込3,520円)などを求め、大変ほくほくした気持ちで会場を後にした。

笑顔になってしまう余韻

会場を出て真っ先に心に浮かんだのは「楽しかった!」の一言だった。美術展の感想としては、ちょっと珍しいような気がする。その思いを構成する主成分は、

①画家の細やかなテクニック、圧倒的な物量が“すごかった“
②どこまでも華やかに、来場者をもてなす工夫が散りばめられていて“うれしかった”
③可愛いものと怖いものが融けあいながら押し寄せて、心が“美味しかった”
④ショッピングによって特別な高揚感がカタチとして残って“すっきりした”

である。滞在時間90分でこんなさまざまな満足をくれるとは、まさに“サーカス”の名にふさわしい展覧会だとしみじみ思う。

ひとりで世界にディープに潜ってもいいし、大切な誰かと興奮を分かち合うのもいいだろう。とにかく盛りだくさんの展示なので、一度と言わず足を運ぶたびに、新たな発見がありそうだ。

カフェ「CANTEEN GUSTAVE by THE SUN & THE MOON〈Cafe〉」のメニュー

カフェ「CANTEEN GUSTAVE by THE SUN & THE MOON〈Cafe〉」のメニュー

なお、同フロアにあるカフェに立ち寄れば、心だけでなくお口も“美味しかった”となることだろう。見本メニューの「ひとつめちゃんのタコライス」(右手前)の眼がリアルでつい凝視していたら、スタッフの方が「大豆シートを使っていますので、食べられますよ……眼も」と小さく教えてくれた。

『ヒグチユウコ展 CIRCUS FINAL END』は、森アーツセンターギャラリー(六本木ヒルズ森タワー52F)にて2023年4月10日(月)まで開催。


文・写真=小杉美香

展覧会情報

ヒグチユウコ展 CIRCUS FINAL END
会期:2023年2月3日(金)~4月10日(月) ※会期中無休
会場:森アーツセンターギャラリー(六本木ヒルズ森タワー52階)
開館時間:10:00~18:00(金・土曜は20:00まで)*入館は閉館の30分前まで
入館料(税込):一般/大学生・専門学校生2,000円、中高生1,600円、小学生600円
※事前予約制(日時指定券)を導入しています。(枠に余裕がある場合、会場でも当日券を販売します)
※未就学児は無料。日時指定券のご購入は不要です。

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