Wednesday, February 1, 2023

伝統と現代融合の音色 津軽三味線奏者 大野敬正さん47(新潟市東 ... - 読売新聞オンライン

 津軽三味線の名手と言われた初代・高橋竹山さんの流れをくみながら、三味線に現代音楽を取り入れるなど新たな可能性を探る。「昔のことを繰り返すだけでは本当の継承ではない。伝統音楽を守りながら、伝統音楽を壊す。現代の音楽と融合させて試行錯誤していきたい」と鼻息荒い。

 三味線教室に通う母を見て、8歳で三味線を手に取った。竹山さんの演奏を初めて見た時に「体からにじみ出る音色」を感じ、三味線の世界に魅了された。竹山流の高橋竹栄さんに弟子入りし、遊ぶ時間も惜しんで練習に打ち込むと、才能が開花。三味線を始めてからわずか4年で名取となり、その2年後には中学生ながら、「竹山節本流継承者」として認められた。

 専門学校卒業後、県内のホテルに就職したが、仕事の傍ら客前で演奏を続けていると、「三味線一本で挑戦したい気持ちがメラメラと湧いてきた」。仕事を辞めて大阪に移り住み、三味線の鍛錬を積んで公演で披露する日々が始まった。24歳で、新たな人生が幕を開けた。

 三味線の披露は、国内にとどまらない。2006年には米・テキサス州の音楽見本市「サウス・バイ・サウスウエスト」に参加。その後、全米ツアーも実施し、大成功を収めたが、そこで感じたのは「世界でも通用する」という自信ではない。客のほとんどが三味線を知らないことへの衝撃だった。「もっと三味線を世界中に広めなければいけない」。竹山流の継承者としての使命を重く感じた。

 その後、ヨーロッパや中南米などでツアーを開催し、精力的に世界各国を回った。10年のサッカー・ワールドカップ(W杯)南アフリカ大会のレセプションや、13年にエチオピアで行われた第5回アフリカ開発会議の閣僚級準備会合、14年にパリで行われた経済協力開発機構閣僚理事会などでも演奏を披露するなど、活動の幅を広げた。

 ただ、20年に突如襲った新型コロナウイルスの影響は、世界を渡り歩く三味線奏者にとってもあまりにも大きかった。国内外で予定していたライブは全てキャンセル。配信でのライブを試みるも、客の反応が見えないオンラインでは手応えを感じられなかった。

 それもあって、昨年は創作活動に軸足を置いた。ルーマニアの人気ロックバンド「DaysOfConfusion」のボーカルと共同で曲を制作するなど、海外の音楽や多彩なジャンルを取り込み、三味線の可能性を追求。「自分がその場に行かなくても、曲が海外で流れれば、今後の海外でのライブにつながるのではないか」との思いも募った。

 「ようやくコロナ禍の出口も見えてきた。創作活動でまいてきた種も、ここで花を咲かせないと意味がない」と、今年はライブに力を入れるつもりだ。「師匠の思いに恥じないような活動を続けていきたい」。竹山流の継承者としての誇りを胸に再び世界に飛び出す。(家田晃成)

 おおの・けいしょう 1975年12月1日、新潟市東区生まれ。8歳で津軽三味線を始め、12歳で名取、14歳で「竹山節本流継承者」となる。2007年にアルバム「三味線魂!~Shami Spirits~」でメジャーデビュー。22年に米・ワシントンで開かれた「全米桜祭り」に参加するなど、これまでに46か国100都市以上で公演を行った。

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