
なぜ、スマホの誘惑に負けてしまうのか
ソーシャルメディアやスマートフォンといった新しいテクノロジーが21世紀の暮らしを大きく変えた事実は、誰もが認めるところだろう。 これらのテクノロジーは、私たちの行動や気分に及ぼす影響力をじわじわと強めてきた。 そしていつしか健全な範囲を超えた量の時間がそれに食われ、その分、もっと価値の高いほかの活動が犠牲にされている。 つまり、私たちが不安に思うのは、「コントロールを失いかけている」という感覚があるからだ。 その感覚は、日々、さまざまに形を変えて表面化する。 子供を風呂に入れていて、携帯電話が手の届かないところにあるとき。 この瞬間を写真に記録してバーチャルな観客に見せなくてはという強烈な衝動に邪魔されて、いま目の前で起きているできごとをただ楽しむことができないとき。 有益かどうかは問題ではない。 主体性が脅(おびや)かされていることが問題なのだ。 となると、次に問うべき質問は、私たちはなぜこんな状態に陥ったのかということだろう。 私が知るかぎり、日常のなかのオンラインで過ごす部分に振り回されている人々の大半は、意志が弱いわけではないし、愚かなわけでもない。 順調なキャリアを歩むプロフェッショナルや勉学に励む学生、愛情に満ちた父親や母親ばかりだ。 みな能力が高く、目標達成に向けて懸命に努力するのがふつうだと思っている。 ところが、日常のいろいろな場面で顔を出すほかの誘惑は退けられるのに、スマートフォンやタブレットのスクリーンの奥から手招きしているアプリやウェブサイトにはなぜか抵抗できず、本来の役割をはるかに超えて生活のあちこちに入りこまれてしまう。 なぜこんなことが起きているのか。 最大の原因は、それらの新しいツールの大多数は、表面上は無害と見えても、実はそうではないという点にある。 スクリーンの誘惑に屈してしまうのは、その人がだらしないからではない。 使わずにいられないようにするために何十億、何百億ドルもの資金が投じられているからだ。
からの記事と詳細 ( 能力が高い優秀な人も脅かされている。私たちがスマートフォンの誘惑に負ける理由(新R25) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース )
https://ift.tt/3glKs8h
0 Comments:
Post a Comment