「もしこれで有罪になってしまうと大変なことになります」
通称赤ちゃんポスト(こうのとりのゆりかご)の運営でも全国的に知られる慈恵病院(熊本市西区)の蓮田健院長(産婦人科医)が、とある裁判後の会見で強い危機感を示した。
慈恵病院では24時間のSOS相談事業などを通じて毎年6~7000件の妊娠・出産相談を受けており、相談は全国の女性やその関係者から寄せられるという。
「今回の判決は無罪でないと困ります」
「(有罪判決が逆に)犯罪を誘発してしまう可能性を心配しています」
「今回有罪になったら、私たちも(電話相談などの)対応をガラッと変えないといけないので」
会見でのこうした言葉とともに、蓮田院長が大きな懸念を示したその裁判を、私も傍聴していた。
2021年6月21日月曜日。13時半からベトナム人技能実習生のレー・ティ・トゥイ・リンさんを被告人とする刑事裁判の第一回公判が開かれた。場所は、熊本地裁の101号法廷。傍聴席にはリンさんの支援者たちの姿も数多く見られた。
リンさんは熊本地検から死体遺棄罪(刑法190条)の容疑で起訴され、無罪を主張している。孤立出産で死産した双子の遺体を「遺棄した」と言われているが、彼女自身はそんなことはしていない、「捨てていない」と言っているのが現状だ。
蓮田院長は弁護側からの依頼を引き受け、熊本地裁に対して意見書(本件事件における母体の状態と孤立出産下における期待可能性)を提出した。そうして第一回公判後の会見にも出席し、自らの見解を示すことになった。
経緯の要点を記す。リンさんは2018年8月にベトナムから来日した技能実習生で、熊本県南部のみかん農園で手取り12万円ほどの月給で働いていた。2020年11月15日の午前中に自室で孤立出産をしたが、8~9ヶ月の早産だったと推定され、双子ともに死産だった。
彼女が雇い主など誰にも妊娠を打ち明けられなかったことの背景には、そうすることで実習を一方的に中断され、帰国を迫られることへの恐怖があった。
当日の痛みは激しく、多くの出血があり、身体的な衰弱のみならず死産の精神的なショックまでもが加わる形となった。一般的に双子の出産はハイリスクだと言われるが、リンさんの場合はさらに初産で、かつ孤立出産という要因も重なっていた。
その恐怖と混乱、心身の疲弊の中で、リンさんは部屋にあった段ボールの底に白いタオルを敷き、双子の遺体を入れ、青いタオルを上からかけ、その箱を部屋の棚の上に置いた。
そして、布団に横たわりながら双子の名前を考え、手元にあったノートにピンクのペンで二人の名前と産まれた日付、かれらにごめんねと謝る気持ちや安らかにという祈りの言葉などを書き込み、箱の中に入れた。
翌日午前に雇い主から声をかけられ、監理団体の職員によって病院に連れていかれたリンさんは、当初は妊娠の事実を否定するも、検査結果を提示され、警察に通報するとも言われて、最終的には認めることになる。その後、警察はリンさんを死体遺棄罪で逮捕し、検察も同罪で起訴した。
その、第一回公判である。裁判官は3つの争点を示した。
①被告人の行為が刑法190条の遺棄にあたるか
②被告人に死体遺棄の故意はあったか
③被告人に葬祭義務を果たす期待可能性はあったか
法的に見てリンさんの行為は「遺棄」にあたるのか。リンさんには遺棄する故意があったのか。そして、死産直後で疲弊したリンさんに「葬祭義務」を果たすことがどこまで期待できたのか。
私が最も重要だと思ったのは一つ目の争点だ。つまり、「リンさんがしたことのどこがどう『遺棄』なのか?」という問題である。
主任弁護人の石黒大貴弁護士が会見で言っていたように、この裁判は検察側と弁護側がその争点をめぐって真正面から争うという形になっている。有罪を認めて情状酌量を求めるという形ではなく、真っ向からの無罪主張なのだ。
弁護側の主張は理解しやすい。死体遺棄の典型は、例えば誰かの殺害後に山にその死体を移動して埋めて帰ってくるといった場合で、遺体の移動を伴う。だが、リンさんの場合は当然これに当てはまらない。部屋で遺体と一緒にいたからだ。
次に、遺体を放置するという不作為(何もしないこと)を死体遺棄とした判例もあるが、その場合は放置だけでなく、その場所から立ち去ること(離去)も合わせて必要だとされている。リンさんの場合はこれにも当てはまらない。部屋で遺体と一緒にいたからだ。
つまり、リンさんは死産ののちにどこかに遺体を移動して埋めるといった種類の行為はしておらず、あるいはどこかに遺体を放置して立ち去るといったこともしていない。
孤立出産での死産を経験し、その事実を1日誰にも言えなかった。だが心身ともに疲弊した中で、自分なりの仕方で双子の遺体を大切に扱い、名前などを考えてメモにも残し、部屋で一緒に過ごした。わずか1日のことだ。
その一連の流れのどこに「死体遺棄」があるのか。そうした状況を捉えて「死体遺棄」だと認めてしまって本当に良いのか。そのことがこの裁判では問われている。ちなみに死体遺棄罪には殺人罪と違って未遂罪も予備罪もない。
付言すると、検察側と弁護側の間で、何が起きたかという事実についての大きな争いはない。例えば、検察側が「埋めた」と言っていて、リンさんや弁護側が「埋めていない」と言っているというような争いは基本的に存在していない。起きたことをどう解釈するかが問われているわけだ。
だからこそ、検察側によってリンさんが果たさなかったと主張されている「葬祭義務」の中身の曖昧さが大きな問題になる。「警察または病院に連絡せよ」といった形で具体的に示されているわけでもなく、どんな行動を選べば義務を果たしたことになるのかがそもそも明確でないという問題があるのだ。
つまり、この裁判には、リンさんに限らず、孤立出産での死産直後の女性が一体何をすれば死体遺棄罪との関係で無罪になるのか、あるいは何をすれば有罪になるのかが明確に示されていないという隠れた問題が存在している。
石黒弁護士は冒頭陳述の中でこの点に触れ、罪刑法定主義の観点からも問題があると主張していた。会見でも次のように述べている。
蓮田院長も「もしこれで有罪になってしまうと大変なことになります」と話していた。実際に起きたことの経緯や、それに対する死体遺棄罪のあてはめの危うさを知ることで、かれらが抱いた危機感の意味がより深く理解できるのではないか。
蓮田院長による意見書の最後のパートにはこう記されている。
もし今回リンさんがしたことやしなかったことに対して死体遺棄罪を適用してしまえば、彼女と同じように孤立出産で死産する女性たちの多く(蓮田院長によればほとんど)が今後同様に起訴されたり、有罪とされてしまう恐れがある。
そして、それゆえに、孤立出産直後の女性たちをむしろ死体を隠したり遺棄する方向へと誘導してしまう可能性がある。そのことを蓮田院長は危惧しているのだという。
この裁判では外国人技能実習生のリンさんが被告人となっている。リンさんとほぼ同時期に東京で孤立出産の末に死産した女性が不起訴になったことなども考えると、リンさんが外国籍や実習生であることが警察や検察の判断に与えた影響について、やはり気になるところだ。
だが同時に、この裁判で問われているのは外国籍者や実習生だけに限定された問題ではない。孤立出産の末に死産を経験した女性に対する過剰な犯罪化、その是非自体の問題として捉えることも重要だと思う。
蓮田院長の意見書にもある通り、「孤立出産においては病院内出産に比べ驚くほど死産率が高い」。それゆえリンさんと同様の状況に陥る女性は今後も現れるだろうし、だからこそ「誰にも言えない」事情を抱えた女性たちがどうすれば相談できるか、保護することができるか、その具体的な方法を考え続ける必要がある。
犯罪化を強めれば孤立出産は減るのだろうか?むしろ、蓮田院長が危惧するように、孤立出産した女性が犯罪とみなされるリスクを恐れてさらに誰にも言えなくなる、あるいは隠したり遺棄しようとする動機付けを強めてしまうのではないか。そうだとすれば、全くの本末転倒ではないか。
社会として本当にやるべきなのは、妊娠して孤立した女性たちを中身の不透明な刑罰で脅しつけることではなく、様々な工夫をこらしながらより質の高い支援体制の構築を模索することではないか。
母親のためにも、子どものためにも、安心して相談可能な経路をなんとか作り出し、リスクの高い孤立出産をできるだけ回避することが大切だ。慈恵病院による24時間の相談事業や、2019年末に導入を表明した内密出産の取り組みも、そうした試みとして捉えることができる。
繰り返しになるが、この裁判ではリンさんのした行為が「死体遺棄」なのか自体が真正面から争われている。だが、日本の刑事裁判において起訴後の有罪率は99%を超える。これが本当に有罪になってしまうのか。もしそうなったとき、その影響はどこまで広がっていくのか。
この事件には孤立出産を経験した女性に対する日本社会の向き合い方、そして外国人技能実習制度の構造的な問題が複雑に絡み合っている。とても重要な裁判だと、私は思っている。
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