このうち、旧ソビエトによって57万人を超える日本人がシベリアなどに抑留された「シベリア抑留」をめぐっては、1947年1月にバチカンの駐日大使が国務長官に送った公電に、引き揚げの実現に向けて旧ソビエトとの交渉を急ぐよう、アメリカ側に働きかけたことなどが記録されています。
1948年8月には、シベリアからの引き揚げが年内に実現するよう、日本の家族団体がバチカンの国務長官に協力を求める手紙を送っていたのに対し、返書には、早期に実現するよう努力すると記されています。
また、1947年8月にバチカンの駐日大使が国務長官に送った公電には、オランダ領東インド、今のインドネシアにあった日本人の収容所をめぐり、オランダ政府に対して環境の改善を求めたことが記されていました。
その年の12月に日本の家族団体がバチカンの駐日大使に送っていた手紙には、東南アジアからの引き揚げがほぼ完了したとして、バチカンによる支援に対し、謝意がつづられています。
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