
日本のリーダーたちの無責任の歴史
戦後、旧日本軍のリーダーたちの行動を明確に分析した研究者の1人は、丸山眞男である。彼は、大戦中の日独のリーダーたちを比較しながら、日本のリーダーたちの特徴を鋭く描き出した。 丸山眞男によると、ナチス・ドイツの指導者ヒトラーは、開戦への決断に対して、明確な意識と意図を持っていたという。これに対して、東京裁判の市ヶ谷法廷にならんだ日本のリーダーたちの場合、我こそ戦争を起こしたという人物が見当たらない。何となく何物かに押され、見えない力に駆り立てられて、ずるずると国を挙げて突入していったという。それゆえ、旧日本軍のリーダーたちは、まったく無責任だったという。 この同じことを、山本七平は「空気」という言葉で説明しようとした。なぜ日本のリーダーたちは勝てない戦争に向かったのか。「空気」に支配され、「空気」が最終決定者だったという。そして、もし空気が最終決定者であるならば、だれも責任は問えないことになる。こうして、日本軍のリーダーたちと無責任論とが結びつく。 そして、これと同じことがいまも起こっている。東京オリンピックとともに、日本ではコロナ感染が急速に拡大し、いままさに医療崩壊に直面しつつある。そして、今後、オリンピックをめぐる多額の費用負担問題が予想されている。だれがどのようにして、これらの責任を取るのか。菅義偉首相か。小池百合子東京都知事か。あるいは橋本聖子大会組織委員長か。丸川珠代五輪担当大臣か。 この問題をめぐって、みな態度があいまいで、すでに黒い空気が漂っている。おそらく、だれも責任を取らないのではないか。結局、あの戦争と同じように、国民が犠牲になるのだろうか。このような日本のリーダーたちにみられる無責任の伝統に迫ってみたい。
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