Thursday, June 3, 2021

教会もバブルものみ込んできた、結婚式の消化力 - 読売新聞

 歌手で俳優の星野源さんと、俳優の新垣結衣さんが結婚を決めたと報じられたのは5月下旬にさしかかった頃だった。東京・大阪などで緊急事態宣言が延長され、新型コロナワクチンの接種体制はなかなか軌道に乗らず、と気が重くなる状況のなかで、明るいニュースとして歓迎する人が多かった。

 著名人の結婚報道というのは新聞の初期から社交情報として盛んに掲載されていて、読売新聞にも華族の誰それが結婚する、という短い記事がよく見られる。

 100年くらい前の結婚式がどうであったかといえば、1925年(大正14年)12月には<結婚式の挙げ方 いろいろな式の模様>という連載が10回にわたって掲載されている。大正天皇が皇太子の時に式を挙げた日比谷大神宮(現在の東京大神宮)の神前婚を筆頭に、<式に必要な器具一切を持ち運んで家庭なり料理屋貸席なりに出張して式を挙げる>という永島婚礼会の「永島式」、基督(キリスト)教を代表して東京・赤坂の霊南坂教会、築地本願寺の仏式結婚式など、さまざまな結婚式の式次第を細かく解説している。

 この連載の最後の2回には、<山田耕作氏が考へた新案音楽結婚>が紹介されている。「赤とんぼ」などで知られる作曲家の山田耕作だ。<『私の日本交響楽協会には約五十人の会員がありますがみな切り詰めた生活をしてゐる仲間で世間でするやうな費用をかけた結婚を挙げる余裕などはないのです』>と動機を語り、<式場には花一つの飾もなければ茶菓の用意もなく前後約四十五分の間ただ五十人の協会員によつて奏される交響楽の楽しいメロデー(ママ)に浸つて心から祝福するのです>と説明する。

 上記の<いろいろな式の模様>にはキリスト教式も紹介されていたが、戦前の婚礼衣装は圧倒的に和装が多かったようだ。

 34年(昭和9年)11月5日朝刊婦人面には<ピンからキリまでお好みしだい 結婚式服の移りかはり>と題して8種類の花嫁衣装が紹介されているが、うち7種が和装。翌35年(昭和10年)12月14日朝刊には<お友だちの結婚式に 招かれた時の髪や服装は?>との記事があるが、これも写真は振り袖姿で、もっぱら着物の着こなしのアドバイスが書かれている。

 敗戦の翌年、46年(昭和21年)1月21日朝刊には<(さきが)けに神前結婚式>との見出しで、戦争前には一般の式典を受け付けていなかった明治神宮が民間に門戸を開くことになったとして、最初に開かれた結婚式の様子が報じられている。掲載された写真を見ると、新婦および親族の女性たちは和服だが、新郎および男性たちはみな洋装(おそらくモーニング)。

 ウェディングドレスが目立つようになるのは60年代になってからで、63年(昭和38年)10月3日朝刊婦人面の<結婚式のシーズンに 白が基本の洋式>という記事では、ウェディングドレス姿のモデルの写真が大きくあしらわれている。65年(昭和40年)1月26日夕刊社会面に掲載された巨人軍・長嶋茂雄選手の結婚式は教会で挙げられ、前年の東京五輪で海外ゲストの通訳などを務めた新婦の亜希子さんはウェディングドレスだ。

 もっとも、68年(昭和43年)4月17日朝刊中央版(東京)<恋愛組ふえる 今春・結婚式の傾向>という記事によると、服装は「男洋装、女和装」の<典型的なタイプ>が37.8%で首位。2位は「男女とも和装」で30.8%で、女性のウェディングドレスは3位だという。式の様式も神式を希望する組が78.8%と圧倒的で、キリスト教は5.0%、人前は4.2%にすぎない。

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