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タイトルだけ見るとスピリチュアリズムの本にも思えるがさにあらず。日本列島で命を繫(つな)いできた先人たちが、どのように死と向き合い、他界観を深め、あるいは変えてきたかを、各地に残る寺社や遺跡の在り方から解き明かすユニークな一冊だ。
宗教儀礼について、われわれはともすれば安易に「伝統」なる言葉を持ち出しがちだが、著者は葬(とむら)いや信仰の歴史も、現世的な事情に大きく左右されてきた経緯を一般向けに分かりやすく解説している。
たとえば、第1部では、峻厳(しゅんげん)なる求道心の象徴のような「山中の寺」が、実は極めて政治的かつ経済的な背景があって初めて成立し得たことを、和歌山の高野山や山形の立石寺(りっしゃくじ)といった有名寺院を例に明らかにしていく。第2部は、縄文から古墳時代にかけ、日本人が霊や神を「発見」していったプロセスを埋葬方法の変遷から追う。誰もが名前ぐらいは知るであろう秋田の大湯環状列石遺跡や奈良の箸墓古墳が生まれた背景には、国の黎明期(れいめいき)ならではの社会的要請があった。なるほど、共同体と墓所の位置関係ひとつからでも古代人の心模様が読み取れるものなのかと感心しきりだ。
さらに第3部から第4部にかけては、外来宗教である仏教をどう受け入れ、カスタマイズしてきたかを事細かに実証している。特に後半、近代に入って一般人の他界観から神仏が脱落していく過程には、祖霊信仰より故人回顧の色が濃くなった現代的供養の萌芽(ほうが)が見えて実に興味深い。昨今、少子化あるいは家制度崩壊の影響で墓じまいが流行(はや)り、葬式も簡素にする傾向があるのを「心の貧弱化」と批判する向きもあるが、どうやら話はそれほど単純ではなさそうだ。数百年にわたる移ろいを踏まえれば、自身や身近な人間の葬送について考えるヒントが見えてくるかもしれない。
ところで、本書は他界観の変遷を通して日本人の精神史を論じるのを主とするが、実際に寺社や遺跡を訪れた著者の紀行としても書かれているので、少しディープな観光案内として使うこともできる。旅行前に一読し、観光寺社や遺跡公園にも存外残っている〝祖先たちの思い〟を発見するための手引書にするのも一興かと。(興山舎・2420円)
評・門賀美央子(文筆家)
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