日本を代表するドレスデザイナーの桂由美さんが加藤官房長官と面会。ウエディング業界を代表し、「緊急事態宣言下でも結婚式の実施を認めてほしい」と提言されました。改めてそのお気持ちをお伺いしました。
新型コロナウィルスは瞬く間に世界中に広がり、1年以上たった今も、まだ日本では終わりの見えない状況が続いています。パンデミックはあらゆる経済活動を冷え込ませ、ウエディング業界もまた大きな苦しみの中にいます。 緊急事態宣言への動きを見せた4月23日、全日本ブライダル協会会長であり、桂由美ブライダルハウス代表・ファッションデザイナーの桂由美さんらが加藤官房長官と面会。ウエディング業界を代表し、「緊急事態宣言下でも結婚式の実施を認めてほしい」と提言されました。これは、ウエディング業界はもちろん、結婚式を予定している多くのカップルへの希望の光になりました。 そこで、改めて桂由美さんに、ウエディングについての思いやコロナ禍での新しい結婚式の形、そして、今不安の中にいる多くの花嫁さんへのメッセージをお伺いしました。
「ブライダル」という言葉を日本にもたらした桂由美さんのウエディング・ヒストリー
私がブライダルの仕事に入ったこと自体が、困っている人を助けたい、という思いからでした。 もともと、「ウエディング・ドレスを作りたい」と思っていたのではなく、母が経営していた洋裁学校を継ごうと考え、そのためにファッションを学びたいと1960年に1年間パリへ留学。イヴ・サンローランやジャン=ルイ・シェレルが学び、ピエール・カルダンが教えにきていた名門校で、当時日本にはなかった立体裁断など世界のトップ技術を習得。帰国後にはそれを生徒たちに教え始めました。そこでの卒業制作で、パリで見てきたウエディング・ドレスを作ろうとひらめいたのが、私とブライダルの出会いです。その当時は「ブライダル」という言葉もなく、ほとんどの結婚式は神前式で和装。外国暮らしの長いアーティストや国際結婚のカップル、クリスチャンの方という、調べてみたらたった3%の方だけがドレスを着る時代でした。 ドレスを作るといっても、広幅の生地もない、ドレス用の下着もない、ブーケもない。でもなんとか工夫したり、助けてくださる方がいて、ドレスの授業も始まりました。 そんなとき生徒が私に言ったんです。「先生、必要としている方がいらっしゃるんだから、ドレスのお店を開いてあげたらいいのに」って。 たった3%しかいないドレスを着たいという方のためのドレス作り、それはビジネスには難しいだろう、でも、困っている人を助けてあげたい、という気持ちが、1965年の「桂由美ブライダルハウス」のオープンへとつながっていったのです。 日本初のウエディング・ドレスの専門店です。オープンのときには、日本初のブライダルファッションショーも開催しました。「7つの個性をデザインする」というタイトルで、その頃、人気絶頂の7名の女優さんやモデルさんをゲストに、7人7様のオリジナルウエディング・ドレスを発表。当時それは大変な注目を集めることになりました。
からの記事と詳細 ( 「ニューノーマルの時代だからこそ、もっと自由でふたりらしい結婚式を」 桂由美さんからのメッセージ(25ansウエディング) - Yahoo!ニュース )
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