花々が美しく咲き誇る6月のハワイは挙式シーズン
「ジューン・ブライド(6月の花嫁)」という言葉があるように、6月は結婚式シーズンといわれる。その言葉の起源は古代ローマ時代にまでさかのぼる。
婚姻と出産をつかさどる女神Juno(ユノー/6月=Juneはこの女神の名に由来する)の月であることに加え、6月に結婚して翌年の春に子供が生まれれば、生まれたばかりの子を厳しい寒さにさらさなくて済む、といった現実的な理由もあるそうだ。その言葉が生まれたヨーロッパの6月は、花々が咲き気候の良い季節なので、結婚式には良いとされているようだ。
ハワイは5月から10月ごろにかけて乾期となり、特に6月のハワイは台風シーズン前で、雨が少なく天気が安定している。真夏の時期よりも過ごしやすい気温で、街は咲いたばかりの花々で美しく彩られる。ハワイは1年を通して挙式のために訪れる人々が多い所だが、乾期に当たる時期は、やはり挙式件数がやや多い傾向にある。
ハワイ王国時代には、6月に華々しいロイヤルウエディング(王室の結婚式)が行われている。ロイヤルウエディングとして盛大かつ最も詳細に記録に残されているのは、1856年6月19日に行われたカメハメハ4世(以下、4世)と、妃となるエマ・ルークの結婚式だ。
カメハメハ4世(写真=Hawaii State Archives PP-97-8-006)
エマ王妃(写真=Hawaii State Archives PP-96-3-016)
海外で挙式を希望する日本人の中でも、特にハワイは人気の場所だ。海が見えるチャペルも人気を博しているが、ホノルルのダウンタウン(都市部)に位置する歴史ある教会でおごそかに行う挙式も高い人気がある。そこで今回は、ハワイ王国時代のロイヤルウエディングの話を交えながら、ダウンタウンにある教会の中でも人気の高い2つの教会を紹介しよう。
ハワイ王国におけるロイヤルウエディング
エマ・ルークは、父が高位の首長、母はカメハメハ大王の姪(めい)の娘という王族の血を引く女性で、大王の参謀として活躍した英国人ジョン・ヤングの子孫に当たる。ハワイ古来の習慣により、王族は生まれてすぐに養子に出されるのだが、エマは英国人医師トーマス・ルーク夫妻の元で育てられ、完璧な英国英語を話した。
4世とエマは、王族の子弟が通う学校に共に通っていた幼なじみで、4世が22歳、エマは20歳での結婚だった。式当日は、ハワイ王国は祝日となり、およそ3000人もの市民が宮殿前のキング・ストリートに集まったという。
4世は金色の糸で刺繍(ししゅう)が施された青色の上着に、金色のレースのラインが入った白いカシミヤのズボンを合わせ、腰には剣を身に着けた。エマは、豪華な刺繍が施された白い厚手のシルクで仕立てられたドレスに、当時の英国女王であるビクトリア女王から贈られたベールを、バラとオレンジの花で作られたレイで髪に留めた。
支度を終え、新郎新婦は、現イオラニ宮殿の地にあった宮殿「ハレ・アリイ(王族/ 首長の家)」を出発し、式が行われる教会へと向かった。
現イオラニ宮殿の地にあった宮殿「ハレ・アリイ」。マウイ島ラハイナを首都としていたカメハメハ3世が、1845年にホノルルをハワイ王国の首都とし、この建物を宮殿にして移り住んだ。後にカメハメハ5世が名称を「イオラニ宮殿」に変えた(写真=Hawaii State Archives PP-10-5-003)
現イオラニ宮殿は、第7代国王カラカウア王の時代、旧宮殿と同じ場所で建築が始まり、1882年に完成した(写真=Hawaii Tourism Authority 〔HTA〕/ Tor Johnson)
祝砲を合図に、騎馬隊の後ろに4世と兄のロット王子と実の父親が乗った馬車が続いた。その後ろをエマと、ブライドメイド(花嫁の介添人)の一人として王族のリディア(後にハワイ王国最後の統治者リリウオカラニ女王となる)と、4世の妹カママル王女が乗った馬車が続く。列の両脇には、カヒリ(長い棒の先端に羽の飾りが付いた王族のシンボル)を持った人々が並び、馬に乗った将校たちが後方から列を守りながら、一行は宮殿を出発し教会へ向かった。
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