
【マンガ探偵局がゆく】
新型コロナの影響で、マンガファンのお祭り「コミックマーケット」も中止に。残念だが、今回はマンガ同人誌に関する調査依頼だ。
「2年前から大学のサークルでマンガの同人誌をつくっています。調べて欲しいのはマンガの同人誌ってどのくらい前からあったのかということです。昔は印刷じゃなかった、という話も聞いたのですけど本当ですか。印刷しないとたくさんの人に見てもらえないと思うんですけど」(20歳・学生)
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カラー印刷の同人誌が当たり前の現代では、印刷されていないマンガ同人誌があったことを想像できないのも無理はない。
詩や短歌、小説の同人誌が明治時代から数多くつくられていたのに対して、マンガ同人誌の歴史は戦後になってから本格的に始まる。有名なのは、高校生だった石ノ森章太郎らがつくった東日本漫画研究会の会誌「墨汁一滴」や、松本零士や高井研一郎らが結成した九州漫画研究会の「九州漫画展」、藤子・F・不二雄と藤子不二雄(A)がつくった雑誌形式の「少太陽」など。これらはいずれも手描き原稿をそのまま綴じて、会員やその友人の間で回し読みされたことから肉筆回覧同人誌と呼ばれた。
貴重な一点ものだが、川崎市藤子・F・不二雄ミュージアムには「少太陽」が展示されているので、ぜひ見てほしい。
1960年代になると青焼きコピーの同人誌が登場する。青焼きコピーは、今の普通紙コピーと違って、半透明の紙に墨汁や黒インクで絵や文字を描いて、光の当たらないところが青く発色する感光紙に重ねて1枚ずつ複写したもの。現像液を使う“湿式”と、加熱して現像する“熱式”、アンモニアを使う“ジアゾ式”があったが、マンガ同人誌はコストが低い湿式やジアゾ式をつかうことが多かったようだ。製本は糸綴じやホチキス綴じ。すべて手作業なので部数はなかなか100部を超えなかった。
今のようなオフセット印刷同人誌は60年代後半から見かけるように。印刷代は高く、会員がお金を出し合っても1年に1冊出せればいいほう。しかも、売れなかった。
第1回コミックマーケットが開催された75年でも、青焼きコピー同人誌はまだ健在。オフセット印刷の同人誌が一般化したのは、同人誌専門印刷会社として大阪の大友印刷が名乗りをあげた80年頃から。低価格で製本までやってくれるので1000部単位でつくることも可能になったのだ。
■中野晴行(なかの・はるゆき) 1954年生まれ。フリーライター。京都精華大学マンガ学部客員教授。和歌山大卒業後、銀行勤務を経て編集プロダクションを設立。1993年に『手塚治虫と路地裏のマンガたち』(筑摩書房)で単行本デビュー。『謎のマンガ家・酒井七馬伝』(同)で日本漫画家協会特別賞を受賞。著書多数。
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April 07, 2020 at 02:56PM
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