Monday, May 31, 2021

誕生から25年『ウンナンの気分は上々。』が現代のバラエティにもたらした功績 - ORICON NEWS

 1996年7月から約7年間にわたり放送されてきたTBS系のバラエティ『ウンナンの気分は上々。』(以下/上々)。とんねるず、ダウンタウンらと共に「お笑い第三世代」と呼ばれ、テレビ界をリードしていたウッチャンナンチャン(以下/ウンナン)がMCを務め、独特の“ゆるさ”と斬新な演出で、90年代のバラエティに確かな存在感を示した伝説的な番組だ。その手法は後のバラエティに大きな影響を与えている。そこで、『上々』がもたらした現代バラエティの礎ともいえる3つの功績をあらためて振り返ってみたい。

生粋の“コント師”ウンナンが、コント全盛期に風穴を開けた「ドキュメント風演出」

 『オレたちひょうきん族』が1989年に終了した後、バラエティ番組の中心はとんねるず、ダウンタウンらに移行していく。そうした中、80年代後半から90年代には『志村けんのだいじょうぶだぁ』(87年〜)、『とんねるずのみなさんのおかげです』(88年〜)、『ダウンタウンのごっつええ感じ』(91年〜)など、台本も用意され、作りこまれたセット、決められたカメラアングルで、緻密に計算された笑いを取りに行くコント番組が全盛期を迎える。

 長尺から、当時あまりなじみのなかった“ショートコント”を確立するなど、コントへの造詣が深いウンナンもまた、初冠番組の『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』(90年〜)で、時事ネタやドラマをネタにした“パロディコント”などを制作。「満腹ふとる」「九州男児」などの人気キャラクターも誕生した。そんな生粋のコント師であるウンナンが、コント全盛期にその先を見据えて、前例のない形式のバラエティに挑んでいた。それが『上々』である。

 コント全盛の90年代のバラエティシーンに、カウンターのように『上々』が登場した衝撃は大きかった。これらは主流であるコントとは真逆に、何が起きるかわからないドキドキ感、「リアルなドキュメント風の演出」を売りにしながら、あくまでゆるく行き当たりばったり感を演出。

 出演者が行先を決める人気の旅企画は、行先での出演者のいざこざや、素人との絡みで予想外の展開やハプニングがあるのが大きな魅力。例えば、ウンナンの尾道旅では、女将が盛り上がりすぎて南原が寝たフリをする状況になったり、柳沢慎吾と南原清隆の“シンチャンナンチャン”の富良野旅では、混浴の露天風呂があると聞き、嬉々として駆け付けるが、柳沢がハチに刺され、医師から「温泉は無理」と言われてしまったりと、数々の奇跡が起きる。こうしたハプニングなども、出演者にテレビカメラを意識させないからこそ。視聴者にスタッフの存在を感じさせない、まるで隠し撮りをしているかのような演出も画期的だった。

出演者の新たな魅力を発掘…俳優のバラエティ進出の先駆けに

 2つ目はキャスティングの妙が挙げられる。当時中堅芸人だったバカルディ、海砂利水魚が、この番組の対決企画により、さまぁ〜ず、くりぃ〜むしちゅーと改名し、ブレイクしたことはもはや説明不要だろう。ただし、そのブレイクの裏には、もともと実力はありながらも伸び悩んでいた2組が改名で注目され、さらにコンビ名を変えさせたことに責任を感じていた内村が舞台裏で彼らに謝罪し、自分の番組に起用し続けたことで彼らの面白さが浸透していったという経緯がある。ウンナンとの絡みを続けていくことで、三村のツッコミ、上田の理屈っぽさなどが、わかりやすくお茶の間に認知されたのだ。

 また、俳優など普段あまりバラエティに出演しない人がドラマ映画などの番宣以外で出演し、後にバラエティに引っ張りだこになったことも大きな特徴の一つ。一世風靡セピアとして活躍した哀川翔は当時バラエティにほとんど出ておらず、また、盟友・柳葉敏郎とは『上々』でテレビ初共演。ドラマや映画では硬派でクールなイメージがある2人が、後輩・勝俣州和に翻弄され、狼狽し、悔しさをあらわにしたり、ズルさを露呈したりするなど、人間らしい姿をみせたのは衝撃で、愛おしく感じられた。またこれ以外にも、吉川晃司や的場浩司、京本政樹ら硬派なイメージのあった俳優陣も、『上々』でそれまでとは異なるチャーミングな一面を披露した。こうして出演者の“素”を引き出し、あらたな一面をお茶の間に見せることにより、芝居だけでは得られない好感度アップにも大きく貢献。今では当たり前になっている俳優のバラエティ進出の先駆けとも言えるだろう。

今では定番となったテロップとBGMでツッコミを入れた先見の明

 3つ目には、現在のバラエティに一番大きな影響を与えたと思える「テロップ」やBGMの使い方が挙げられる。当時は、『電波少年』などで「面白ワード」をテロップとして表示し、視聴者に“笑いのポイント”を提示することが、バラエティでは当たり前になりつつあった。だが、『上々』は、出演者のほぼすべての発言を画面下部に表示。さらに、ナレーションを一切入れず、出演者の動向関係なく画面中央に縦組みの文字でテロップを出すことで状況を説明し、さらに“ツッコミ”を入れるという斬新な手法を編み出す。また、出演者の“発言”を拾って、その言葉から歌詞と一致するようなBGMを選択。出演者やナレーターがセリフとしてツッコミをいれるのではなく、文字と音楽でツッコミを作るという実験的な試みも斬新だった。

ヒリつく番組は時代と共に消滅 ウンナンだからこそ残せた笑いの普遍性

 90年代『上々』と同様に、ドキュメント風の演出で、バラエティシーンに衝撃と革新を与えた『電波少年』。しかし『電波少年』の持つスリリングな“ヒリヒリ感”は、次第に時代の気分に合わなくなり、テレビ番組のコンプライアンスの関係からも成立が難しくなっていく。一方、『上々』は、番組自体は2000年代初頭に終了したものの、今もその趣を感じさせる番組が非常に多い。例えば『水曜どうでしょう』のディレクター・藤村忠寿氏も、カメラの在り方やテロップについてなどの『上々』の演出について一目置いていることを公言するほど。また、「素」で「プライベート」で「行き当たりばったり」で出演者に行く場所を決めてもらい、素人と絡んでいく企画は『旅猿』などの旅モノ・街ブラ系に、さらにテロップでツッコミを入れたりというという手法は、『もやもやさまぁ〜ず2』などに、出演者の発言からBGMをこまめに入れる手法は、『出川哲朗の充電させてもらえませんか?』などに大きな影響を及ぼしているように見える。

 一部『世界の果てまでイッテQ!』など、そのDNAが残っている番組もあるが、刺激的な『電波少年』が時代の変化とともにさまざまな制約を受け、消えていったのに対し、『上々』は一見ゆるゆるテイストでありつつも、数々の実験的な試みを経て培われたメソッドが今の後継番組たちの中で生き続けているのは興味深い。

 25年前に誕生した番組が、今のバラエティに多大な影響を与えたことは上記の一例から見ても明らかだろう。さらに、この番組のキモはおそらくMCがウンナンだったところにある。当時、お笑いのトップを走っていたとんねるず、ダウンタウンらは共にプレイヤーとして先鋭的なセンスを見せ、積極的に笑いを生み出した。しかし、ウッチャンナンチャンは自らプレイヤーでありつつも、『上々』においては、自らが“引く”ことで他者を輝かせてきた。だからこそ、『上々』が多くの人に受け入れられ、DVD化、特番化されているのだろう。現代をバラエティを語るうえで、この番組がバラエティ史に残した功績は大きい。

文/田幸和歌子

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