女優の美波(35)が、米人気俳優のジョニー・デップ(58)が製作と主演を務めた映画「MINAMATA―ミナマタ―」(23日公開、アンドリュー・レヴィタス監督)で、日本人として初めてデップの相手役を演じ、ハリウッドデビューを飾った。美波は「まさにスーパースター。いるだけで明るくなる」と撮影現場で感じたデップとの共演、日仏米を拠点に活動する自身の展望を語った。(増田 寛)
フランス人の父と日本人の母の間に生まれ、日仏英の3か国語を操る美波。ただ、英語は今作のために勉強し直したという。「オーディションでフランスなまりを直さないといけなくて。英語独特の抑揚に苦労しました」。レヴィタス監督から「発音は完璧にできるのか」と問われ、「知りません!」と堂々と宣言したところ合格したという。
デップが製作と主演を務めた今作は、伝説の写真家ユージン・スミスと当時の妻が1975年に発表し、日本の水俣病を世界に知らしめた写真集「MINAMATA」を生み出す経緯を映画化した。美波が演じたのは、ジョニー演じるユージンの妻のアイリーン・美緒子・スミス。2人は工場から排出された有害物質によって苦しむ人々や、抗議運動の様子を撮影していく。
ハリウッドデビューを果たしたばかりでなく、日本人で初めてジョニーの相手役を務めた。「人間的に信頼のおける人でした。ジョニーがいると撮影現場が明るくなる。人からリスペクトされるし、リスペクトもする。まさにスーパースター。お芝居がうまいし、紳士だし天才」と終始ほれぼれ。スーパースターのアドリブ力にも感嘆しきりで、「ジョニーはアドリブもたくさんされますが、どのカメラ、どのライトに当たると一番美しく見えるかを本能的に全て分かっている」。美波もアドリブを交えたようで、「全てをジョニーが受け止めてくれた。言葉を超えた関係性が生まれた。本当に自由で幸せでした」と至福の撮影を振り返った。
幼少期は日本のフランス学校に通い、中学から日本の学校に進んだ。子供ながら、自身の境遇に違和感があったようで、「幼い頃はどうしても自分の居場所がないと感じていた。そのうっぷんを晴らすことができる、唯一の場所がお芝居だった」。日本で女優デビュー後、14年にフランスに留学。「フランスの方が私のパッションを表現できる」と、そのまま拠点をパリに移した。
「もともと、自分のもう一つの故郷にすごく興味があった。でも、実際に渡仏したら現実は厳しかった。フランスにアジア人の役はなくて。でも、自分が日本人であることをすごく実感できたし、フランスに行って日本のことがより好きになりました」
フランスでの仕事に恵まれず、しばらくの間、日仏を往来していた。「フランスに住んで4年がたち、どうするか悩んでいた」。そんな中、今作のオーディションの話が転がり込んできた。「本当に諦めなくてよかった」と振り返った。
アーティストとしての顔も持ち、コロナ禍ながら、今年7月には3回目となる油絵などの個展「eN」を都内で開催した。ジャンルも国も超え、活躍の場を広げ続ける美波だが、確固たる目標がある。
「枠にとらわれず、ボーダーレスな表現者になりたい。今後はハリウッドの映画にもっと出たい。英語でお芝居をしたいので、もっと勉強して、世界で活躍する表現者になりたいです」
◆美波(みなみ)1986年9月22日、東京都生まれ。35歳。父がフランス人、母が日本人。2000年「バトル・ロワイアル」(深作欣二監督)で映画デビュー。02年に映画「惨劇館 夢子」(久保山努監督)で初主演。14年、文化庁「新進芸術家海外研修制度研修員」に選出され渡仏し、ジャック・ルコック国際演劇学校に1年在籍した。
◆MINAMATA―ミナマタ― 1971年、アメリカを代表する写真家とたたえられたユージン・スミス(ジョニー・デップ)は、現在は落ちぶれた日々を送っていた。ある日、アイリーン(美波)と名乗る女性から、工場の有害物質によって苦しんでいる人々の撮影を依頼される。そこでユージンが見たのは、水銀に侵され歩くことも話すこともできない子供たちの姿や、工場側が抗議運動を力で抑え込もうとする光景だった。115分。
2021-09-22 21:00:00Z
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