「なんだ、この良妻賢母は?」こちらが少し及び腰になるほどに、昭和の男性たちに喜ばれそうな女性像を高らかに歌い上げるのが、ロマン派の作曲家ロベルト・シューマン(1810~56年)による連作歌曲「女の愛と生涯」である。社会的意味での性差を取り払うジェンダーレスの考えが定着してきた21世紀にあって、クラシック音楽の歌詞が抱える価値観の「古さ」を、演奏家はどう捉えているのか。5月1、2日にびわ湖ホール(大津市)で開かれる「近江の春びわ湖クラシック音楽祭」(有料配信あり)でこの曲を歌うメゾソプラノ福原寿美枝さんと、いわゆる「男臭さ」の漂う「悪役」ばかりでプログラムを組んだバリトン黒田博さんに、現代を生きるアーティストとして、クラシック音楽の「女」と「男」について聞いた。【濱弘明】 ◇「女の愛と生涯」は古い? 「女の愛と生涯」を書いた1840年、シューマンは幸福の絶頂にあった。ピアノの師であるフリードリヒ・ヴィークの猛反対を押し切り、その娘であるクララと結婚して、ロマンチックな歌曲を次々と生み出した。女の愛と生涯の歌詞は、約10年前にドイツ人シャミッソーが書いた9編の詩から8編を採用している。 Seit ich ihn gesehen, Glaub ich blind zu sein 1曲目の冒頭から「初めて会って以来、彼のことしか見えない」状態だ。第2曲では「彼は誰よりも素晴らしい」と思いを募らせ、第3曲で彼から「僕は永遠に君のものだ」と言われて「夢のよう」と高揚感に包まれる。主人公はこの男性と結婚し、出産する。最後の第8曲は、夫の死後の心境を描き、「あなたは私の世界(全て)です」という言葉で締めくくる。 19世紀の作曲家と詩人の価値観に支配されたこの曲の主人公は、現代の歌い手、聴き手に理解できるものだろうかと、心配になってくる。 武庫川女子大や京都市立芸術大で学生を指導する立場でもある福原さんは、この曲が提示する女性像に「古い」という指摘があることを否定はしないが、「歌い終わった後、おえつしそうになる」ほどの魅力を感じている。全曲の締めくくり。歌手が余韻に浸っている場面で、ピアノが1曲目冒頭の初めて会った時の旋律を回想する。そこには主人公の歩みへの強い「肯定感」がある。 福原さんは「今の私と共通する部分はないけれど、自分をささげる対象がある人生は幸せなんじゃないかと思う。ここでの『あなた』を、自分が人生をささげる何かに置き換えることもできるのでは?」と、主人公への共感を口にした。 ◇波乱の道のりも肯定 この演奏会の後半、福原さんはシューマンが12年後に作曲した「メアリー・スチュワート女王の詩」を歌う。この曲は「作品135」。女の愛と生涯は「作品42」だから、二つの曲集の間に100曲近く書いてきた計算だ。1542年に生後6日でスコットランドの王位に就き、幾多の波乱を経てイングランドで処刑され、45年に満たない一生を終えた女王メアリーによる詩などをもとにした曲集には、厳かな空気が漂う。 「さまざまな人生の岐路を織り込んだ曲」。こう評する福原さんは、人前で演じることに苦手意識があり、30代半ばでオペラの舞台にデビューした遅咲きの歌手だ。その後の20年余りは貪欲に活躍の場を広げ、人生経験を重ねてきた。「私とはスケールが違うけれど、メアリーを一人の女性として、自分と重ね合わせながら想像する。この曲を通じて、彼女は時代の流れの中で、強い信念を持って、自分に正直に生きた人だと感じた」という。 特に印象に残るのが、断頭台に向かう直前を描いた最後の5曲目「祈り」だ。他の曲と同様に短調で書かれている。冒頭で「おお神よ」と救いを求めるが、福原さんはこの部分が上から下への下降音型で歌われることに注目する。 「神様お願いですと、弱々しく下から見上げるのではなく威厳がある。絶望していても、自分がここまでやってきたことには自信があったというのが、シューマンの見方なのだと思う」 福原さんは未知の曲に臨む時、作曲の背景や構造分析は後回しにして、直感的なイメージをつかむことから始めるという。「先入観なしにインスピレーション(霊感)を受けたい。後から知識を得て、最初のイメージと違ったとしても、現代に生きる自分としての観点は大事にしたい」 2編の歌曲集の主人公について「人生にはいろいろあって、今は人それぞれの個性が尊重される時代。全く違う人生を歩んだ2人の女性を、オペラのように演じきりたい」と語った。 ◇男性歌手が「草食化」 黒田さんは「悪役を歌う」のタイトルで、オペラに登場する6人の悪者たちを演じる。音楽祭の発表記者会見で、ホール芸術監督の沼尻竜典さんは「最近の男性歌手は『草食化』が進んで、悪役を悪役らしく歌える人がいなくなってしまった」と嘆いた。 演目に並ぶのは、「フィデリオ」(ベートーヴェン)のピサロ、「トスカ」(プッチーニ)のスカルピア、「オテロ」(ヴェルディ)のヤーゴといった面々。黒田さんは自身が「根っからの悪役」だとは考えていないが、「草食化」の理由には心当たりがないわけではない。 「ミュージカルでの活躍を目指して声楽を学ぶ学生も多い。その場合は、ナチュラルな発声で正しく音程を出す技術を、若いうちから完成させる必要がある。一方、オペラでは大きなホールに生の声を響かせるという『無理』が求められる。何十年もかけて、自分の体という楽器を仕上げていく」 黒田さんは「奥行きのある深い声」を求めて、体の奥から音を出すように努めてきた。周囲から「音がこもっている」と言われても理想を追い求め、完成に近づいたのは40代後半を迎えた10年ほど前のことだ。「深さ」を追い求める歌い手が少数派になったことが、草食化に関わっている可能性がある。 ◇「悪」を際立たせる歌舞伎の所作 40歳の頃、悪役の神髄に迫る出来事があった。 新国立劇場で2004年に「俊寛」(清水脩作曲)を演じた際、演出を担当したのが十二代目市川團十郎(故人)だった。クライマックスを迎えた場面、團十郎から「ここでお客さんをにらんでさしあげてください。その後で、目を殺しなさい。そうするとお客さんは息ができます」とアドバイスを受けた。これが人生の「宝物」になったという。 黒田さんが「悪役の最高峰」と考えるのが、ヤーゴとスカルピアだ。「ヤーゴは詰め将棋のように、持ち駒を動員してオテロを陥れる。スカルピアが自ら手を下さずにトスカを追い詰める場面は、楽しくて仕方がない」。特にスカルピアの場合、「ふだんは丁寧な口調でジェントルマンだが、ここぞという時に目つきを変えて恐ろしさを表に出す。目つきを変えると、声も変わる気がする」と極意を語った。 日本の社会全般で「性別に関係なく、声が薄っぺらく浅くなっている」とみる。「政治家が浅い声で話すと、人柄まで薄っぺらく見える。深い声でしゃべると、この人になら任せられるという気がする」 黒田さんの目線と、声の深さに注意を傾けたい。 ◇有料ライブ配信も 福原さんの演奏会は2日午後2時10分、黒田さんは同日午後5時からの各約40分。「近江の春」の詳細は特設サイト(https://festival.biwako-hall.or.jp/2021/)。東京、京都、大阪、兵庫の4都府県で新型コロナウイルス感染症の緊急事態宣言が出ており、ホールでは「滋賀県外のお客さんには、ライブ配信を楽しんでほしい」と呼びかけている。
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