新型コロナウイルス感染拡大防止で、政府が推奨する「手洗い」。今や国民にとって常識の感染症対策だが、100年前のスペイン風邪流行期にはまだ普及しておらず、歴史は古いようで新しい。識者は「手洗いの習慣は、ウイルスという見えない敵との闘いで身に付けた武器とも言える」と指摘する。
世界で初めて手洗いの重要性を説いたのは、ハンガリー人医師ゼンメルワイスで、約170年前にさかのぼる。女性が出産後に産褥[さんじょく]熱で亡くなるのは、医師が診察前に手洗いをする習慣がないためだと突き止めた。ただ当時は細菌による感染症とは分かっておらず、医学界は否定。正当性が認められたのは後世になってからだ。
厚生労働省結核感染症課によると、手洗いは手に付着したウイルスや細菌を洗い流すため、インフルエンザやかぜの対策でも有効。しかし、インフルエンザの一種「スペイン風邪」が1918~20年に世界中で猛威を振るった際には、「普及啓発の主たる対象ではなかった」と話す。
旧内務省衛生局が当時刊行した「流行性感冒」の翻刻書によると、スペイン風邪の病原体は当時まだ不明確で、せきやくしゃみのしぶきによって人から人に感染するとされた。会話の際は適度な間隔を保ち、マスクの使用も奨励したが、手洗いに関する記述は見当たらないという。
熊本大大学院生命科学研究部の加藤貴彦教授(公衆衛生学)は「まだ電子顕微鏡が開発されておらず、ウイルスの存在自体が分かっていなかった。物を介した接触感染にも考えが及ばず、手洗いが有効とされなかったのだろう」と推察する。
日本人は古くから神前で手を清めたり、毎日入浴したりする習慣があり、世界的にもきれい好きな国民で知られる。手洗い励行は、戦後始まった学校給食における徹底や、上下水道の整備など水の衛生環境が改善したことを背景に、国民に定着したとみられる。
一方、せっけんメーカーでつくる日本石鹼[せっけん]洗剤工業会によると「スペイン風邪当時も石鹼はあったが、手洗いに使われたかは分からない」。同会は社会活動の一つとして、66年から小学生らを対象に「手洗い運動」と名付けた啓発活動を続けている。
加藤教授は「世界では水資源を巡る紛争が起きており、地下水汚染が問題になっている地域も多い。日本のように滅菌された飲み水で、手洗いができる国は少ない」と指摘。「100年前と違い、坑ウイルス薬やワクチンの開発が進み、手洗い励行のほか『3密』を避けるといった概念も生まれた。私たちができる対策は着実に増えている」と話す。
コロナ禍で日常生活の混乱が続く中、あらためて身近な手洗いこそ重要で基本的な備えと言えそうだ。(川崎浩平)
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