精神疾患は、近年ますます大きな問題となっています。厚生労働省「患者調査」によると、平成11年は204.1万人だった患者数は、平成26年には392.4万人になりました。
特に「気分[感情]障害(躁うつ病を含む)」の疾病患者数は大幅な増加傾向にあり、心と体の適切なケアは、働く私たちにとって不可欠なものとなりつつあります。
今回お話を伺ったのは、医学博士・心療内科医であり、日本医科大学特任教授を務めながら、複数の企業で産業医としても活躍されている海原純子さん。
ヤフーニュース個人でも2018年から継続的に記事を執筆されている海原さんは、心療内科の必要性が世間一般に認知されるずっと以前から、数多くの働く人たちの心の問題に向き合ってきました。
職場で気持ちよく働くためには何が必要なのか。心の問題が発生する理由、その改善すべきポイントはどこあるのか。私たちにとっても身近な「心」の問題について、いろいろ教えてもらいました。
働く人の「心と体の不調」は、残業時間だけが原因ではない
――産業医の先生は、具体的にどういう役割を担っているのでしょうか。
海原:職場における労働者の健康管理などについて、専門的な立場から指導・助言をおこなう役割を担っています。職場で発生した問題や悪影響と上手に向き合い、相談者はもちろん管理者に対してさまざまな提言をおこなうこともあります。
私は心の不調とそれに伴う体の不調に対し、心身両面から治療に向き合う心療内科を専門としていますが、心療内科医と産業医は別々の役割ではなく、密接に結びついていると言えるでしょう。
例えば「仕事が原因で心身が不調になり、耳鳴りがする」という症状が出ても、以前は耳鼻咽喉科に行くしかありませんでした。「ストレスが原因で体が不調になる」という概念自体がなかったためです。
心療内科は、そういう原因不明の体の不調に向き合う新しい医療分野として誕生・発達してきました。
ーーストレスが原因で体の不調を訴える人が増えていると聞きます。やはり「残業時間の多さ」が主な原因となっているのでしょうか。
海原:不調を訴える人には、それぞれの事情・原因があります。誤解されがちですが、必ずしも「残業時間が少なくなれば体調不良の人が減る」というわけではありません。
信じられないほど長時間残業をしていても「全然元気、もっと働きたい」という人は一定数存在します。一方で、月わずか数時間の残業でも「もう無理です、これ以上働けません」となってしまう人も多くいます。
仕事へのストレス耐性は、人によってではなく、従事する業務の内容や適性によって大きく異なるため、管理者は注意しなければなりません。'''
たとえ残業時間が少なくても、その業務が従業員の心や体に深刻な悪影響を及ぼしている場合がある'''ということを、よく理解しておく必要があります。
――職場におけるストレス発生の主な要因は何だとお考えですか。
海原:仕事への適性が低い・そもそも体力的に厳しい、というような場合はもちろんですが、仕事に対して個人の裁量権があるかないかが大きいと私は考えています。
ある程度自分でコントロールができる仕事や自由度の高い仕事については、長時間労働も苦にしないという人は多い。一方で、やることが全て決められているような定型の仕事は、自分で仕事を自由にコントロールできないため、ストレスをためがちになる人が多いですね。
また、年功序列型やトップダウン型の職場では、従事する仕事の内容にかかわらず不調を訴える人が増加する傾向にあります。効率化のために導入したはずのマニュアル化や制度設計が、結局大きなストレス要因となってしまい、生産性を落としてしまう場合も多いんです。
――人間関係による影響も大きそうですね。
海原:そうですね。特に直属の上司との折り合いがつかない場合は、裁量権も持てなくなり、会社生活そのものが窮屈になってしまいます。
日本の職場は基本的に減点主義のため、一度ある上司からダメという評価をされてしまうと、その後も正当な評価をされず、いい仕事が回ってこなくなる傾向は強いと思います。
配置転換や働き方を少し変えるだけで活躍できる人材のはずなのに、ある上司の評価だけをその人の全てと判断してしまうのは、本人にとっても会社にとっても不幸なことですよね。
環境・風土の改善が心と体の不調を防ぎ、良い循環を生み出していく
――産業医として、過去に改善に取り組まれた具体的な事例を教えてください。
海原:働き方改革も確かに大切ですが、それ以上に大切なのは働く環境の改善です。だからオフィスを移転させ、勤務する空間を大幅に改装してもらったことがありました。
ほとんど陽の光が入らない、何だか全体がごちゃごちゃしたようなオフィスから、窓が広くて見晴らしもいいというオフィスへのお引っ越し。デザインもおしゃれで、会議室も全室ガラス張りタイプという今風なオフィスへと大改造をしてもらったのです。
その場で働く社員が「自分たちはスターだ!」と感じられるようなオフィスに変えてあげるだけで、モチベーションは大幅にアップします。
――オフィスの引越し・改修には多額の費用がかかりますが、それほど環境は大切というわけですね。
海原:奇麗なオフィスは内装の施工や家具の購入などで、確かにお金がかかります。でも、内装はボロボロで換気も悪い、設備や備品などもコスト最優先というのが明らかなオフィス環境では、従業員は経営者から見捨てられたと潜在的に感じてしまい、モチベーションを下げてしまうのです。
だから経営者には、目先のコスト感のみに囚われるのではなく、従業員が良いモチベーションで働ける空気感をしっかりと作っていく姿勢が求められます。
――オフィスの環境のほかに改善すべきポイントを教えてください。
海原:苦痛に感じたこと、困ったことに対して声を上げられない・相談することができないという文化は、絶対に改善しなければなりません。そういう職場ほど、誰かが倒れても何も改善されない傾向が強くなります。
産業医として特にプッシュしたいのは、若手が声をあげられる企業風土づくりです。トラブルが起きたから人員の配置換えをする、というのは対症療法にしかなりません。反発する方も非常に多くいますが、抜本からの改善を施すしかないのです。
――企業風土そのものを改善するのはかなり困難に思われますが、どのようなご提案をされるのでしょうか。
海原:効果的なのは、「自分だけではなく、相手もOKに」という、自分も相手も大切にする自己表現法である「アサーティブ」を身につけてもらうことです。
例えば仕事の振り方でも、上司が「これやっといて」と言ってしまうと、部下は「はい」と言うしかありません。そうではなく、部下がその仕事に対して思っていることを心の内に溜めさせることなく、妥協でも服従でもない対話を実践してもらうのです。
――相手の考え方や意見を尊重し、対話することが大切というわけですね。
海原:口で言うのは簡単ですが、「拒絶」「怒り」「正当でない批判」など上司からの一方的なコミュニケーションが、実際のビジネスの場では横行していますよね。
これが定常化すると部下は萎縮してしまいますし、そのせいで「自分には裁量権がない」「この会社には合わない」と落ち込んでしまうんです。
逆に、誰もが自由に意見を言え、上司もそれを受け入れてくれる「アサーティブな職場環境」をきちんと作ることができれば、コミュニケーションは円滑になり、部下が活躍する機会も増えていきます。
いずれはその部下も誰かの上司となるのですから、企業文化そのものが良い方向へと変化していくことが期待できるわけです。だからこそ、若手が声をあげられる企業風土づくりは大切になるのです。
――改善がしやすい会社、改善がしにくい会社の違いはありますか。
海原:社員の平均年齢が低いベンチャー企業などは、企業文化自体をガラッと変えることも可能でしょうね。やはり若い方のほうが頭も柔らかいため、アサーティブなコミュニケーションも身に付けやすい印象です。
一方、歴史がある企業などは在籍年数が長い社員も多く、全員が一気に変わるというのはやはり難しいですね。そういう場合まずは若手社員の方に、自分の意見を上手に伝達するトレーニングを行ってもらうことで、長期的に改善に取り組んでもらうよう提案しています。
あとは、大企業ほど男女格差が著しいという根深い問題があります。女性の方のストレスが強くなるのは避けられません。
――日本は女性が生きづらい国だと話題になりましたが、やはり海原さんから見ても男女格差は感じられますか。
海原:海外企業と比べると明らかですね。日本も能力至上主義に移行しているとはいえ、女性は120点をとってようやくスタートラインに立てるという印象です。
もし男性と女性が同じ成果を出せば、基本的には男性の方が高く評価されるでしょう。女性が働くこと自体に違和感があるという意識がまだまだ強く、男性と平等な評価がされづらいのです。
一方、男性の方にも「男は働くことだけ考えていればいい」という固定観念を変えられてしまったという強いストレスがあります。
この変化への適応が難しかったせいで、女性が働くことに対してストレスを感じ、必要以上に攻撃的だったり低評価をしてしまったり、となっているのでしょう。ただこれは、女性にとっても男性にとっても、今後絶対に意識を変えていかなければならない問題です。
私たちが、気持ち良く生きていくために必要な心の在り方
――海原さんはこれまでニュース個人で、医師としての専門性、エビデンス、統計などに基づいた「働く人たちの課題」や「現代社会の生きづらさ」などについての記事を執筆されてきました。
今回2020年1月より配信開始の『Dr.海原純子 こころの相談箱~気持ちよく生きるためのヒント』という有料連載では、どのような情報を配信されていくのでしょうか。
海原:私は心療内科医および産業医として、日々さまざまな相談を受けています。有料連載では、それらの相談を基にした事例について解説していくことで、「気持ちよく生きていくためのヒント」をお伝えしていきます。
実はこういう相談事例の解説を読むことは、気持ち良く生きる方法を見つけるための良いトレーニングになるんです。
相談者の立場を自分に置き換えて考えることによって、客観的に問題を理解できるようになり、自身が抱える問題の解決に必要な道筋が見えてくるようになるからです。
その積み重ねによって最終的に、自分の意見を自分の口から、相手にも正しく伝わるように表現ができれば、多くのストレスは根底から解決することでしょう。
――自身が抱えている悩みとは関係のない問題を考えることに、そのような効果があったのですね。
海原:むしろ、自分に関係のありそうな相談だけを取捨選択して考えていてはいけません。「この世代の人はこんなことに悩んでいる」「この性別の人はこんなことが気になるのか」と知ることは、世の中にそれだけ多くの価値観がある、ということに対しての理解につながります。
その理解によって多くの人の気持ちに寄り添うことができるようになり、人間的なキャパシティーも広がっていくのです。
――それが、海原さんの仰る「気持ちよく生きる」ことにつながるわけですね。
海原:例えば、電車で乱暴に荷物を置く人を見ると、ついイライラしてしまいますよね。でも「あの人も、もしかしたら嫌なことがあって苦しんでいるのかも知れない」と自然と想像できるようになれば、イライラ感も和らいでいくでしょう。
こういう気持ち的なゆとりを持つようになることで、周囲の人との接し方に対してポジティブな変化が生まれますし、それがあなた自身の人生にも好影響を及ぼすはずです。
ただ、こういう心の問題に関連する学びは、「もうダメだ!」というタイミングで勉強を始めても間に合いません。それではもう手遅れです。勉強をできる心の余裕があるうちに、ぜひトレーニングを始めてみてください。
海原純子(うみはらじゅんこ)
東京慈恵会医科大学卒業。同大講師を経て、1986年東京で日本初の女性クリニックを開設。2007年厚生労働省健康大使(~2017年)。2008-2010年、ハーバード大学大学院ヘルスコミュニケーション研究室客員研究員。2013年より日本医科大学医学教育センター特任教授。2018年昭和女子大学特命教授。復興庁心の健康サポート事業統括責任者(~2014年)。被災地調査論文で2016年日本ストレス学会賞受賞。日本生活習慣病予防協会理事。日本ポジティブサイコロジー医学会理事。
『Dr.海原純子 こころの相談箱~気持ちよく生きるためのヒント』
【この記事は、Yahoo!ニュース 個人の定期購読記事を執筆しているオーサーのご紹介として、編集部がオーサーにインタビューし制作したものです】
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January 28, 2020 at 10:08AM
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