Monday, December 30, 2019

古くからある将棋の駒組「矢倉」は終わったの? それともまだ終わってないの?(松本博文) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース

 将棋にはいくつかの定番の駒組があります。その中には江戸時代の昔から現代に至るまで、変わらずに指し続けられているものも多くあります。

 「やぐら」という駒組もそのうちの一つです。かつては「櫓」、現在では「矢倉」という字が一般的に使われています。

今から三百年前、1717年(享保2年)に出版された『将棊図彙考鑑』という本には「定跡駒組櫓」の項でその形が紹介されています。

 示されている進行例を並べてみると、図のように進みます。

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 双方ともに玉の周りに金2枚、銀1枚で囲いを作っています。これが「やぐら囲い」です。

 双方が矢倉に組み合う「相矢倉」は昭和の半ばからトップ棋士によって数多く指されました。たとえば升田幸三、大山康晴、加藤一二三、米長邦雄、中原誠、谷川浩司など、将棋史上に名を残す棋士たちが、いずれも矢倉で多くの名勝負を繰り広げてきました。

「矢倉を制する者は棋界を制す」

 という言葉もよく語られました。盤上全体で戦いが起こる戦法の性質から、矢倉は実力がよく反映される戦形とも見られました。

 平成に入ってからも羽生善治、森内俊之、佐藤康光、渡辺明といった棋士たちは、矢倉を多く指してきました。

 2016年12月。史上最年少の藤井聡太四段(当時)がデビュー戦で加藤一二三九段と対戦した際も、戦形は矢倉でした。

 戦法にも流行りすたりがあります。現代の将棋界で多く見られるのは、序盤で角を交換し合う「角換わり」と、飛車先の歩を伸ばし合う「相掛かり」です。

 矢倉を見る機会はめっきり減ったようにも思われます。これはどのような事情からでしょうか。

矢倉は本当に終わったの?

「矢倉は終わった」

 将棋界でもし流行語大賞を選出するとすれば、2017年はこれが大賞候補でしょう。増田康宏六段(当時四段)がインタビューでその旨を発言をした際には、大変なインパクトがありました。

 この頃増田六段は、矢倉に代えて、「雁木」(がんぎ)を多く採用していました。雁木の厳密な定義は難しいところですが、矢倉は7七、雁木は6七の地点に上がるのが駒組の骨子です。

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 雁木の駒組は古くからあったものの、これまで主流ではありませんでした。その雁木がなぜ見直されたのかを、増田六段は簡明に説明しています。

「はい。矢倉は終わりました」

「桂馬が使えないんですよ、矢倉は。▲6六歩・7七銀という形にすると7七の銀は基本的に動けなくなります。これでは桂を飛ぶスペースがありません」

「跳ねるかどうかは分かりませんが、跳ねる余地があるということが大きいんです。あと、雁木は囲いのバランスがいいですね。矢倉は偏ってしまうのでダメです」

出典:「驚愕必至!増田康宏四段インタビュー」

 2018年、筆者は増田六段(当時五段)にインタビューをする機会があったので、改めて尋ねました。

―「矢倉は終わった」という発言が大きな反響を呼びました。改めてどういう意図なのか説明いただけますか?

単純に、トップクラスの将棋ソフトがまず「矢倉」をやらないというのを知りました。さらにソフトが「矢倉」に対して「雁木」でうまく勝っているのを見て、「矢倉」はかなり厳しいんじゃないかなと思いました。

「矢倉」は完成するまでに結構、手数が掛かってしまうので、その間を狙われやすいです。また矢倉は(玉を囲う)駒が左側に偏ってしまうので、右側の手薄なところが結構狙われやすいというのが、かなりの弱点です。「雁木」は金銀のバランスもいいし、そういったスキもないですし。あと左側の桂馬も活用しやすいところがいいですね。

―師匠の森下先生も「矢倉」は得意です。先生から何か言われることはありますか。

直接、何か言われることはなかったですけど、将棋界の関係者の人などに「弟子の増田が(あんな発言をして)すみません、と謝っていた」というのは聞きました(笑)

出典:常識は敵だ。新時代を切り開く若き開拓者。棋士・増田康宏 20歳。

 増田六段の師匠の森下卓九段は、矢倉戦法のオーソリティーとして知られています。その弟子が「矢倉は終わった」と言ったわけですから、物語としては大変よくできています。

矢倉は終わっていないらしい

 もっとも、矢倉はその後も指さなくなったわけではありません。

「矢倉は終わったんですか?」

 増田六段が解説の際などには、決まってそう尋ねられるようです。増田六段自身の認識も時を経るにつれて変化し、現在では「矢倉は終わった」という断定はしなくなっています。

 当の増田六段自身も矢倉を指しています。2018年の竜王戦決勝トーナメントという大きな勝負で、増田六段は藤井聡太七段を相手に、矢倉を採用して勝っています。

 ただし、現代の矢倉は、かつてのものとはかなり様相が違います。

 昭和の後半、先手が飛車先の歩を保留して駒組を進める「飛車先不突(つかず)矢倉」が登場しました。それは現代将棋界の定跡の進化の端的に示す事例でもありました。しかし、時代は一周して、それでは後手の急戦に対応できない、というのが最先端の認識のようです。

 人間の将棋界では最近に至るまで、玉の堅さを重視されていました。しかしコンピュータ将棋の影響で、バランス重視が近年のトレンドとなっています。矢倉もまた、同様の流れにあるようです。

 コンピュータ将棋をいち早く研究に取り入れ、や時代の最先端で戦っている千田翔太七段(当時六段)は次のように述べています。

 相矢倉は、人間によって積み重ねられてきた分野であるがゆえに、コンピュータ将棋の影響が如実に現れる。近年の変化を簡潔に示すと、「▲6六歩に対する後手の6筋攻めにより、先手が飛車先を伸ばすようになった結果、飛車先不突き矢倉が廃れた」となる。

 あまりにも多くの変化が潰されたため、矢倉戦法は過去の形であるかのように言われているが、先手矢倉の評価値はプラスで、戦法としては終わっていない。むしろ、いまが最も注目すべきタイミングだ。

出典:千田翔太『将棋世界』2018年5月号

 近年では堅さ重視の▲6七金右ではなく、バランス重視の▲6七金左という形も指されるようになりました。

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 コンピュータ将棋が人間の定跡を潰していくのはいつものことだが、▲6七金左は衝撃的だった。この一手が恐ろしいのは、矢倉囲いの常識を覆し、将棋の教科書を根本から書き換えてしまうことだ。

出典:千田翔太『将棋世界』2018年5月号

 これが時代の最先端とは、本当に驚くよりありません。また同時に筆者は、

「えーと、矢倉の定義ってなんだっけ」

 とも思いました。1940年、名人戦七番勝負で土居市太郎八段(後に名誉名人)がこの形に構えたことから「土居矢倉」という呼び方はあります。その名称をそのまま現代の矢倉で用いるのは適当なのかどうか。それはここでは触れませんが、ともかくもコンピュータ将棋によって、この形に新しい光が当てられ、矢倉の新しい可能性を示されるようになりました。

 最近では2019年竜王戦第4局▲広瀬章人竜王-豊島将之名人戦でも▲6七金左型は現れています。

【参考記事】

広瀬章人竜王(32)さすがの終盤力でカド番をしのぎ1勝を返す 竜王戦七番勝負第4局

 一方で、以前からずっと指されている形の矢倉も「温故知新」で、何らかの可能性で再び流行する可能性も、もちろん残されています。2019年11月の王将戦挑戦者決定戦▲藤井聡太七段-広瀬章人竜王戦で、藤井七段は比較的古いタイプの矢倉の作戦を採用しています。

【参考記事】

30年ぶりの最年少記録なるか? 藤井聡太七段(17)王将挑戦をかけて広瀬章人竜王(32)と矢倉で対戦

 将棋界のトレンドの変化は、いつまたどこで起こるかわかりません。いまさかんに指されている角換わりも突き詰められていった結果、何らからの結論が出され、「角換わりは終わった」と言われる未来も、もしかしたらあるのかもしれません。

 というわけで、ともかくもまだ、矢倉は終わっていないようです。あるいは、将棋の無限に近い可能性を考えれば、矢倉の歴史も、将棋四百年の歴史も、まだ始まったばかりなのかもしれません。

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December 30, 2019 at 04:27PM
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